下屋のドアを作る/その3


ここで下屋のドア作りのことを振り返っておくと、新築時に棟梁がドア枠を作ってくれたのが2014年の11/21。残材でドアを自作するつもりだったが、アイデアがまとまらず布を垂らしたままここまで来てしまった。下屋に貴重品があるわけでもないのだが、さすがに5年以上も放ったらかしでyuiさんのご両親も心配していたのだった(スイマセン/汗)。

漠然と温めていたプランは、105×45㎜の間柱(まばしら)材にハツり痕を入れてつなげ、2枚で観音開きのドアするというものだった。が、どうにも気持ちがのらない。この家はプロの手腕で作られたもので下屋ドアは目立つ場所でもあり、下手(ヘタ)なものは作れないのである。

昨年の夏から急展開、木工作家のサトコ氏が出入りするようになりアイデアを出してもらうことに。間柱の板では重すぎるのでスギのバラ板でフラッシュ戸にすることで動き始める(10/4)。そしてバラ板を「うづくり」にし、間柱材で枠を仕上げその板を張り、昨日ようやく蝶番付けまでできた。

さて朝、ゴミ捨てに出て、戻りながら下屋を眺めてみる。「ほー」なかなかいいね!

“下屋のドアを作る/その3” の続きを読む


下屋のドアを作る/その2


1週間前の 1/12、下屋のドア枠ができた。今日はその続き、夜にサトコ氏が2時間くらい手伝いに来れるというので、蝶番付けまで一気に片付けてしまいたい。うづくりの板を枠に仮置き。ここに小窓と猫穴をつけるのだが、先に板をレイアウトして張って後から穴を開けることにする。

“下屋のドアを作る/その2” の続きを読む


玄米食→「ぬか漬け」好きになる


昔は米を精白するのが手間だったということもあり玄米。それでも昔の人はハレの日(正月や祭り事、お祝い行事の日など)にご馳走の魚(肉)と共に白米を食べていた。そのとき出た糠(ぬか)は「ぬかは漬け」や「たくあん漬け」にもらさず使っていたはずである。

しかし毎日ご馳走たべるヒマはないし、周りもそうさせなかった事情があっただろう昔は。ところが食が自由になり外食やコンビニが発達した現代ではこれが逆転し、毎日がハレの食の連続になっている(現代ハレ食は毒化&低エネルギー化しているが)。

とはいえ皆が玄米菜食をいっせいに始めたら、白米食やパン食に依存するオカズ産業や外食産業が成り立たなくなってしまう。というわけでそれらの産業界やマスコミの妨害というバイアス常に入ってくる。

今日の副菜はレンコンとニンジンとヒジキの炒め煮。そして定番のぬか漬け。玄米食になってからぬか漬けサボらなくなってきた。

“玄米食→「ぬか漬け」好きになる” の続きを読む


玄米、満月、ZENBヌードル


再び玄米、イセヒカリ。今回もハトムギときびを1割ほど入れ、3合炊きのかまどさんで2合の玄米を炊く。2合だと1日では食べきれないので、おひつに入れたまま翌日に持ち越しとなり、つまり1.5日で(3日で4合)消費するというペースとなる。

“玄米、満月、ZENBヌードル” の続きを読む


「いのちの壱」を白米で


Gomyo倶楽部には7枚の棚田があり、昨年は3種のコメを作った。毎年のスタンダードは新撰田の「イセヒカリ」、No.2は「いのちの壱」(商標名/龍の瞳)、そして欠かさないのは古代米のもち米「赤米」である。イセヒカリは1989年に伊勢神宮の神田で発見された新品種、「いのちの壱」は2000年に岐阜県下呂市で生まれたやはり新品種だ。

2021年、Gomyo倶楽部産「いのちの壱」(天日干し)

“「いのちの壱」を白米で” の続きを読む