再び玄米、イセヒカリ。今回もハトムギときびを1割ほど入れ、3合炊きのかまどさんで2合の玄米を炊く。2合だと1日では食べきれないので、おひつに入れたまま翌日に持ち越しとなり、つまり1.5日で(3日で4合)消費するというペースとなる。
自家製キムチがますます味良く❣️ お隣は小松菜のエゴマ味噌和え。
玄米はよく噛まねばならないし、また噛むことでおいしさがにじみ出てくる。だから玄米には刹那的な強い味のオカズは合わない。そもそも動物食の濃厚さが親和せず、植物質の繊細で深い味わいが合うのである。
そういう意味で野菜の漬物と味噌汁はすばらしくよく合う。これに到達した昔の日本人はすごいと思う。この組み合わせを玄米で食べてみれば、長年の時を経てこれにたどり着いたというのがよく解る。
ただし、玄米は無農薬の天日干しが理想だし、味噌も漬物も本物じゃないと真のおいしさは味わえない。ということは、外食ではこの味覚を体験できないということだ。ここ大きなハードルがあり、それが現代人を「刹那的な白米食」に縛り付けているとも言える。
栄養価の低い白米でも、肉や魚という高栄養を組み合わせれば辻褄が合うのじゃないか? という考えもあるが(僕もむかしはむりやりそう考えていたことがある)、肉を常食するとさなざまな弊害が出てくる。脂肪のとりすぎや食物繊維の不足により腸内細菌や血液の状態が悪くなる・・。
今日は満月だった。
夜はZENBヌードルで和風ナポ。
けっこう美味しいな、また取り寄せようかな♬
ところで小麦は粉食だが、米は粒食である。穀類を粉にひくと何万倍にも表面積が増え、ひいたそばから酸化・劣化が始まる。米を玄米のまま食べるというのは、そういう意味でもスゴイことなのだ。
しかし、米は地球上どこでも穫れるというわけではない。水耕栽培ができるモンスーンアジアだけ。そして水耕栽培の稲だけが「連作障害」を起こさない。連作障害が出る麦作と、さらに牧畜を組み合わせると土地はどんどん疲弊していき、また新たに森を伐採して畑を作らねばならない。こうして西洋文明は森を砂漠化してきた。
雨に田んぼと書いて「雷」という字ができる。田んぼには雷がよく落ちる。稲妻(イナヅマ)と呼ぶ通り、田んぼは天空から電磁的エネルギーをもらう。そして繰り返し山からの養分が水によって運ばれてくる。
連作障害を起こさない水耕栽培という自然条件、そんな場所でできる稲という作物には「完全さ」がある。栄養価だけでなく食物エネルギーに満ちているということだ。
それが神様のお供え物「水・塩・米」に表現されており、神話をひもとけば瓊瓊杵尊の「天孫降臨」神話があり「豊葦原瑞穂国」に天からもたらされた稲種が、地上の稲作の起源となったのである。
日本の国土のうち稲作ができる平野はわずか30数パーセントほどしかない。我々の祖先はそこを開拓し、稲作のための水路網を作ったわけだが、その平野部に敷きつめられた疎水の総延長は40万キロにも及び、実に地球10周分(!)にもなるという。
玄米を食べて、満月を見て「田毎の月」などという言葉を思い出した。