「クラフト紙シリーズ」(1984-5 年)は私のイラストレーターとしての原点ともいえる作品である。もともと喫茶店に飾るという名目で創られたもので、荷造りなどに使われるクラフト紙にペンとガッシュ(不透明水彩)で描かれている。結局、店には飾られず手元に戻ってきた・・・というわけで、新たに3点を描き加え、翌年に計7点ができた。
25〜6歳のときに描いた作品なのだが、ここには私の過去から未来にわたって展開する要素が包含されていて興味深い。「魚・蝶・花・犬(動物)……」背景は自然の森・山・川・海で(7 点のうち5 点が水辺である)、登場人物は私一人だけ。人工物は灯台と山小屋しか出てこない。
それぞれ詩文をつけ、ポートフォリオに入れて初期の売り込み用に使われたが、その後原画は長く押し入に眠ることになった。2002年11月の初めての個展で眠りから覚め、原画はナタ割りのスギ額に額装され、ポストカードも作られた。以降「紙芝居&個展プロジェクト」の目玉として全国を巡回した。
河原の野営
北海道の知床忠類川。
十代の 終わりの夏。
ドライフライで釣った
アメマスを
焚き火で焼いて食べた
その味が すごくうまかったのを
憶えているんだ。
テントの中に入るのは惜しいような星空。
川の水音だけが聞こえる。
「ええい外で寝てしまえ!」と、河原にひとり
横になった。
海が近い。
どこかの灯台の光が、
夜空に仄めいた。
海のルアー釣り
海へジグを打ち込んで
大物スズキを狙う。
ルアーを始めた少年の頃、
海へよく行った。
マスが釣れるような川は
近所になかったからね。
でも、さっぱり大物スズキは
釣れなかったよ。
だけどいつ大物が来るか
わからない期待感が海の魅力だった。
それに、海で働く人たちの
雰囲気が
僕は大好きだったのだ。
犬の思い出
父の趣味が狩猟だったので
家にはいつも
犬が1~2匹いた。
庭というものがなく
しかも町中の クリーニング屋だったので
いま思えばよく
あの家で飼っていたものだ。
夜の運動(「散歩」ではナイ!)
は僕の日課。
解き放たれ闇をすべるように
喜びいっぱいに躍動する。
いまでもあの黒い瞳との
交感を思い出す。
みんな星になったお前たち
アオスジアゲハの夏
父の実家の
日立久慈浜が、
僕の少年時代の 思い出の海だ。
爽やかな波だけが救いのような、
なんの変哲もない海岸。
切り立った崖が
奥に見え、
アオスジアゲハが群れ飛んで、
遠く南国の海を夢想する。
そんな少年の夏の日。
沖縄でもなく
北海道でもなく
日本海でもない。
大平洋の小さな浜。
それが僕の海。
小倉川にて
学生時代に釣りでよく通った川。
裏磐梯の高原を流れ、
秋元湖へ流れる 下流部は
道から外れているので実に
いい雰囲気で。
授業をサボっては
先輩のバイクの後ろに
またがって。
フライロッドを手に、
天国の箱庭が降りて
きたかのような
小さな河原で迎える、
日暮れ前のチャンスタイム。
ゼフィルスと雑木林
エメラルドグリーンに輝く
空飛ぶ宝石たち。
ゼフィルスと呼ばれる
シジミ蝶の仲間。
夕暮れに梢の上を飛ぶ
ちょっと変わった仲間たち。
夏休み、僕の標本箱を覗いた友人が
「外国の蝶、デパートで買ってきてインチキ!」
と言った。
君の家のすぐそばの森で、
一年に一回、
6月頃、つなぎ竿で採る。
「ゼフィルス」とは
ギリシア語で「西風」の意。
山小屋への旅
サラリーマンを辞めたその夏、
僕は八ヶ岳にいた。
標高二七〇〇メートルの
稜線小屋でバイトしてたんだ。
どんぶり飯を食いながら、
いきなり三〇キロの
ボッカ(荷上げのこと)。
いま思えば、
デスクワークを繰り返して
いた身体でなぜあんな
ことができてしまったのか
不思議でならない。
でも小屋番をしたり
他の小屋に居候したり
結局、秋まで居着いてしまったのだ。
僕が山を降りて
街に戻った次の日、
山は初雪で真っ白になったという。
個展における初展示:埼玉県神泉村「ななくさの庭ギャラリー」2002.11