1997〜98年、林野庁の広報誌・季刊『林政の窓』に4回にわたって連載されたイラスト・エッセイである。96年から始めた森林ボランティアとの出会い、私が林業に開眼していく感動が綴られている。それまでチョウの採集、フライフィッシング、山岳放浪とアウトドア遊びを続けてきた私が、森林・林業との出会いで大きく転換する。その瞬間を書き留めることができたと思う。
1,僕たちの冒険
東京は不思議な所だ。アスファルトの喧噪を青梅線で一時間も脱出すれば、そこには山野草の咲く森がある。駅を出て小道を歩き始めると、急峻な山肌が迫り、斜面には小さな畑が続いて、確かな山里の生活が営まれていることに気付く。ナタとノコギリを腰に下げて、嬉々として山仕事に向かう僕らを、土地の人はどう見ているのだろう。
荒れた人工林をボランティアで手入れするという会があって、以前から友人に誘われていたのである。でも蝶や植物が好きで、山や渓流釣りなどを通じて自然に親しんでいた僕には、いきなり杉林の枝打ちというのも抵抗があって躊躇していたのであった。ところが、関連の「創夢舎 (そうむしゃ)」というグループが植林をやるという。寝袋持参で泊まり込みで来いという。面白そうだから行ってみたら、意外や若い人たちがたくさん来ていて、地下足袋履きの女の子がクワを振りかざしたりしているのであった。感動的な光景だった。
僕も教えられるままに<地拵え> と呼ばれる作業を手伝い、夜は宿舎で 参加した人々と語らった。翌日はクワを使ってクヌギやマツを植える。ひさしぶりの労働でくたくたになったけれど、春のすがすがしい風が僕の周りを吹き抜けていった。
結局その植林以来、毎月の作業日に欠かさず出てしまい、僕の植えた斜面の木は、ひとつの年輪を刻んだ。そのほか檎原村のレジャー林業の会や、木の家造りに関する勉強会にも参加。土と緑に染まり、いろいろな人に出会った一年だった。
「創夢舎」の山は、4ヘクタールの皆伐跡地を地元の林家に無償で借り、自分たちで自由な森林を創るというもの。東京にこんな所があるのか……と思ったが、いや東京だからこそ人が集まり、こんな市民グループの活動も成り立つというわけだ。この植林が二度目にあたり、半分以上残された手つかずの斜面は、天然更新と未開拓の場所。中にお花畑や蝶の森、野外博物館的な道をつくるなど、様々なプランがある。
4月、木々の芽吹きを眺めながら、作業道をつくる。5月、ウスバシロチョウの舞う斜面で汗を流し、道づくりの続き。6月、下草刈り。カマの研ぎ方をおぽえる。来るたびに道々の花が変わる。これも楽しみ。7月、ヤマユリの花のお出迎え。これで決まりだった。僕の大好きな花だから。8月、炎天下の下草刈り。気分爽快!
慣れない作業でそこかしこに血を滲ませ、つまずいた石が沢まで転がり落ちていく。僕たちの冒険は、東京の森で行われるのだ。
(’97夏)
2,下刈りの楽しみ
この夏も下刈りガマを手にして、育林のために創夢舎の山に入った。なにしろ、ついに自分専用のカマまで購入してしまったのだった。でも、さすがにそれを手にして電車に乗る勇気はないので、友人の車に便乗して街を背にするのだけど。
植林2年目のクヌギやトチノキ、アカマツなどは、斜面の中で青々と茂る雑草に囲まれ、蔓に巻かれて気息奄々。とくに広葉樹の植栽木は判別が難しく、一応目印のポールを立てているものの、草と間違えて僕はクヌギを2本ほど刈ってしまったのだ!
さて、山ふところに入っていると、色々な発見や出会いに楽しくなる。たとえば鮮やかな「匂い」や「音」だ。
山道を歩けば、針葉樹の香りや花の匂いに鼻をふくらませ、カマで斜面を刈り進めば青草の匂いが、そして土の匂いが立ち昇る。ときにはサンショウの鮮烈な芳香に出くわし、たたずんでしまうこともある。
明け方、幾種類もの鳥のさえずりに耳をそばだて、作業の休みに虫たちの羽音にドキッとし、宿舎に帰ってカマを研ぐ夕暮れには、川のせせらぎや蝉しぐれに忘我する。こんなことが、日頃街の喧嘆にまみれている僕にはたまらなく嬉しい。
かつて、釣りや山登りの趣味で森に溶け込んでいたとき、それほど感じなかったわいもないことが、なぜか心に染みるように広がっていくのだ。
創夢舎では作業現場の近くに家を借りているのだが(そこは古い作りの民家で少しずつ改装したり、皆の家財を持ち寄って宿泊や会合場所として使っている)、その台所で思い思いに木苺のジャムを作ったり、山の冷水で蕎麦を食べたりするのがまたなんとも楽しい。
山仕事は確かに危険だが、それが僕らには楽しくもある。常に刃物を携行する緊張感、この感じがまたいいのである。それに都会では滅多にないことだが、リズミカルに作業が進行していると、無心になれる瞬間が何度もある。
もちろんこれらは、座業の多い都市生活者の、利害を伴わない遊び人の、戯言にすぎない。だが遊びだからこそ、無償の行為だからこそ体験できる面白さというのもあって、それが「創夢舎」のネーミングにもつながっているのだと思う。
サンショウの幹ですりこぎ棒を作り、ナンテンの葉を摘んで、手打ちうどんの飾りに……。夏の作業時にこっそり刈り残した小さなカエデの木が、秋に見事な紅色に染まって歓声を上げた……。
こんなことも、まれびとの楽しみの一つである。
(’97秋)
3,植林の女たち
10月、創夢舎で3度目の植林が行われた。これまでの植林は春先に行われたのだが、今回は秋植えに挑戦である。規模は前年度よりずっと小さく、エノキ、カツラ、果樹を中心に150本程度。これ以上植えると下刈り作薬が追いつかないので、まとまった植林としてこれが最後になる。
当初、花のきれいな木や、果樹で斜面をうめつくす計画もあったけれど、苗木の値段が高くて断念。皆で話し合いを続けるうちに、メインの樹種にはエノキとカツラが選ばれた。エノキは国蝶オオムラサキの食樹であり、カツラは芽吹きと黄葉が美しく、ハート型の葉っばがかわいい。
その日は僕が絵を画いた山の案内板の除幕式や、新代表就任のセレモニーも行われ、クワを手に斜面に取りついたのは我が創夢舎のメンバーと、他のグループからロコミで集まった総勢30数名。そのうち約3分の1が女性だった。
普通の作業日にも創夢舎は女性参加者が多く、それも歳若い女子大生などが目立つのだが、この日も女たちは大活躍であった。なにしろ「育てる」ことは彼女たちの生活本能だから、作業の手際も慎重で丁寧である。中には地下足袋ファッションで身を固め、急斜面をカモシカのごとく歩く女の子もいるので、初めてやって来たオジサンなどはたじたじとなってしまうのだ。
それにしても、享楽に満ちたこの世の中で、土にまみれる森づくりという趣味を選び、電車賃をかけ、山作業に通う女性がこれだけいるというのは、やはり驚異である。他の会でも女性陣の活躍を散見するので、「森と女性」という組み合わせは、今や時代のひとつの象微といえるかもしれない。
単なる遊び半分の、自己満足のためにだけやって来るのではない彼女たちの作業姿を眺めていると、僕はなぜか中世の寺院で草摘みをする尼たちを連想し、そんな彼女たちが、穢れた大地を癒す慈母にも見え、この森の受難の時代に舞い降りた戦士にも見えてくる。
化糀っ気がなく、慎みがあリ、やけに純粋で、無邪気で──ときに無知で能天気な彼女たちの言動に、ずっこけることもしばしぱだが、そんな黄色い笑い声が飛び交う創夢舎の山が、僕はとても好きだ。
陽も高いうちに、早々と植林は終了し、再び案内板の前に集まって、新代表の若きK君の挨拶でその日は終了した。ケガもなく、天気に恵まれ、すべてがうまくいった一日。植林の余韻でどこか声を弾ませる男性陣に比べ、何事もなかったかのように、淡々と道を歩き始める女たちの姿が、とても印象的だった。
(’97冬)
4,未来の樹の下で
新年早々、東京は大雪に見舞われ、1月の創夢舎の作業日は、宿舎の屋根の雪下ろしから始まった。周辺の林が雪害でバキバキと折れているのをまのあたりにして、不安な面持ちで山に向かうと、斜面の雪は大方融けており、秋に植えた苗木はなんとか元気でほっとした。
残雪をふみしめながら急斜面を登り、今年もよろしく!と「山の神」に唱えながら、木々をひとまわりする。
シカやノウサギに喰いちぎられたり、日照りに枯らされたり、あるいは僕らのカマのひと振りに命を絶たれながらも、木々たちはエネルギーに満ちた芽をそこかしこにふくらませ、春をじっと待っている。朽ちた葉と赤い新芽。山が生き、循環しているのを知る時だ。やがて、あの生命の爆発するような新緑の季節を迎え、そしてまた、下刈りの夏が巡ってくる──。
昨年の夏のこと、作業日の前日に、誰もが山に向かうのをあきらめるようなひどい嵐がやってきて、その夜は物好きなオジサンしか集まらなかった(もちろんそのうちの一人は僕だ)。激しい雨音を聞きながら明日は道具の手入れでもしようかなどと話していた。ところが、翌日は昼から素晴らしい青空が広がり、僕たちはわずか数人で、下刈りの一日を楽しんだのだ。雨上がりの雲をまとった輝くばかりの山々を背に、それは忘れがたい、夏の一日だった。
こんな事もあった。創夢舎の山の案内板を作ろうと頭を悩ませていたとき、次から次へと肋け舟が現れて、結局思いもよらない素敵なものに仕上がった。創作者を気取り、いつも独力を尊重する僕だけれど、山が与えてくれた新たな力と、人の輪に感動したことだった。
昨年は新聞や雑誌が僕たちの活動をずいぶん好意的に紹介してくれ、会報も充実してきた(創夢舎では「森づくり通信」を月1回発行している)。新たな仲間も増え、そして12月の忘年会には、山主さんと大家さんが遊びに来て下さった。
森づくりの中に、僕たちは無限の楽しみを、新たな学びを発見する。やるべきこと、やりたいことがたくさんある。山仕事の勉強はもちろんだが、僕はスケッチを描き続けたいし、間伐した木で木彫も始めるつもりだ(なにしろ宿舎の2階をギャラリーにする計画がある!)。
5年後でも、10年後でもよい、未来の樹の下で、僕たちが再び巡り会うのを想像するのは、なんと楽しいことだろう。山が生きているかぎり、思い出も育ち続けるのだから。そう、未来の樹は、僕であり、あなたなのだから。
(’98春)
「創夢舎」看板(杉板絵、篆刻)
「創夢舎」ロゴマーク(ゴム・スタンプ)
「創夢舎」鳥瞰図