群馬のカキバナ


アトリエで一日囲炉裏にあたりながら図書館で借りた本を読んでいた。『上州のくらし民具』(読売新聞前橋支局編/昭和52年発行)という本が面白い。当時27歳の記者が突撃取材で農山村を訪ね、民具と当時の人々との関わりを取材するという、読売新聞群馬版に計61回にわたって連載されたものの単行本化である。

当時の人々がまだ囲炉裏やカマドを使っていた頃の写真などもある。興味深いのは写真の巻頭を飾る「けずりはな(かきばな)」と呼ばれる神具(捧げもの、魔除け)である。アイヌが神に捧げるイナウにそっくりなのだ。このカキバナは群馬が中心地であり、神奈川、長野の一部、埼玉では秩父のみ、栃木には見当たらないという。山形には「オタカポッポ」と呼び鷹の形にこしらえるものがある。

夕刻、友人が来て遅くまで話し込んでいった。囲炉裏端で火を燃しながら語ると、僕らも客人も時間を忘れてしまうのだ。


囲炉裏と茶の湯


図書館へ。僕らは藤岡の市立図書館と前橋の県立図書館のカードを持っていて、ここでそれぞれ5冊づつ本を借りている。もっぱら山暮らし再生に関係するものを借りるのだが、茶道の本なんかも借りてみた。

囲炉裏をやっていると、立ち居ふるまいが洗練された動作になってくる。それは火や湯という裸形の危険なものを目の前に常に置きながら、座ったままで様々な作業をこなしていくからで、当然のことながら、ものの置き場、移動の仕方、そして燃える薪の配置などに気を配るようになってくる。

あるとき、僕はこの自分の動作の中に「茶の湯」の原型があるような気がしたのである。現在の茶道は形骸化した「形」重視のものになっているように思うけれども、本来は「火」と「水」と「木」という人間が生きる上での最も基本となるものへの畏敬と感謝を込めたアートではないか、と感じた。ずっと前に岩波文庫で読んだ岡倉天心の『茶の本』、もう一度読み返してみようと思う。


手打ちうどん作る


前夜のすき焼き残り汁がわずかばかり。そこに冷や飯をぶち込んで鍋に蓋をして熾き火にかけておく。ほどよく水気を吸い、ちりちりとお焦げが始まった頃に、Y氏がお歳暮に持ってきてくれた日本農園の地タマゴを割り入れ、蓋をしてその上に熾き炭を置いてオーブン状態にする。んんん、目玉載せビーフご飯のできあがりぃ。

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ボロを着る暖かさ


僕の定番スタイルは昔からジーンズにダンガリーシャツ。またはチノパンやコーデュロイ。寒いときはその上にダウンベストとかセーターとか着るわけだ。この定番、着続けてはボロになり、何代も交代されている。しかし、着古して穴が空いても、愛着のある衣類をゴミ箱に棄てるのはしのびないものだ。そこでアトリエに来て以来、そのボロを棄てずに相方に繕ってもらい、できるだけ長く着続けられるようにした。

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そば粉の味


午前中、藤岡のIさんが遊びに来たので、囲炉裏にあたってもらい昨日挽いたそば粉でパンケーキを作ってみた。そば粉に水を入れてゆるく練ったものを、フライパンで焼いたものだ。畑で初めて収穫したそば粉、しかも石臼挽き。ウマイ! 甘み、こく、香りがそろっている。こりゃそば打ちをおぼえなければ!

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