今年もスギタニルリシジミが飛び始める。トチノキを植樹とする早春のチョウだ。深い青色の表羽とややくすんだ灰色の裏羽が印象的で、飛び方はたどたどしく、一目見てそれとわかる。以前のブログにも書いたが、このチョウの植樹を解明したのは藤岡在住の布施さんという方で、その著書『群馬の蝶』には鬼石でこのチョウを追った記述があり、御荷鉾山産の標本が載っている。ひょっとしてその場所というのはここH集落だったのではないかと思えてくる。
月: 2006年4月
ウスバシロ幼虫
山梨~鎌倉~東京の旅からアトリエに戻ると、梅の花がほころび、イワツツジが咲き始めている。ウスバシロチョウの食草、ムラサキケマンの花が咲き始めた。ネットで幼虫の形を確かめ、敷地内の食草を探してみるとさっそく見つかった。これが成虫になって飛び始めるのはあと1ヶ月後、その頃はクリンソウが開花するだろう。
馬肉とワサビ
アトリエに戻るとクリンソウがいちだんと大きく育っている。が、ワサビの湿地がまたしてもイノシシに荒らされている。大株がいくつも根こそぎひっくり返っているのだ。イタルさんに見てもらったら、やっぱり「ミミズかサワガニを探したんだろう」とのこと。というわけでまたワサビの根をゲットしたのでした。
山梨から氷を抱かせ運んできた馬刺で、さっそくワサビで食べてみました。旨いっす・・・。
鎌倉の義経、ブリジストンの雪舟
朝、江ノ島に立ち寄ってから、義経ゆかりの寺「満福寺」を拝観する。義経は兵法の天才で、平家滅亡の決定打をうったわけなのだが、その行動力と権力に対する作法が兄頼朝の逆鱗に触れ、鎌倉入りを許されず、平泉に逃れ討たれる。ここ満福寺は、鎌倉入りを拒まれた義経が逗留して、頼朝へ理解を求める切々とした手紙を書いた場所だそうだ(寺が相模国腰越にあったので手紙は「腰越状」と呼ばれる)。この場所から義経の人生が暗転し、逃避行が始まったのだ。
山梨~神奈川へ
翌朝、再び現地でイベントの進行などの打ち合わせ。その後、役場で担当の課長さんや町長さんと会見。町の重鎮たちもまた、山の荒廃に憂え、頭を痛めている様子が伝わってくる。が、僕のような若輩が、頭ごなしに強度間伐をまくしたてたら彼らはついて来るまい。話し方とアプローチは明確に慎重にしなければ。