高崎哲学堂


近所に住む篤林家のKさんの山を見に行き、帰りに線香林の雪折れなどを見学して、にゃん太郎君とS子さんを本庄駅まで送る。その足で高崎へ出て、駅近くの旧井上邸「高崎哲学堂」を見にいく。コンクリート打ちっぱなしの「高崎市立美術館」の裏手に大きなケヤキの木立と高い塀に擁された一角があり、土日のみ無料で見学できるようになっている。

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チョウの来る家


朝、ミニトマトとインゲン豆、ジャガイモを収穫した。昼食兼朝食を食べ終える頃、Y先生来訪。キュウリを2本貰った。カボチャをイノシシに食べられてしまったそうだ。ウチのカボチャは不成績でまだ結実していないから心配ない。「でも、ウチの野菜って、後半に伸びるよね」「うん、カボチャもあきらめないほうがいいかも」などと相方と話し合い、さっそく雑草にまぎれたカボチャを助けに行く。

戻ると家の中からなんとオオムラサキの♂が飛び出してきて驚いた。ビールの空き缶の匂いにやってきたのか? しばらくしてまた飛来。こんどは家のテラスに止まり、口吻をのばして何かを吸っているようだった。オオムラサキの成虫は樹液が好きなのだが、この古い家の木材になにか似た物質が出ているのだろうか? これからしばらく観察できそうである。

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昨日、ヒグラシ蝉の鳴き声を今年初めて聴いた。しかしY先生によれば、セミは極端に少なくなったという。セミばかりではなく近年ホタルもまったく見れなくなってしまった。ヤマセミやフクロウも多かったそうだが最近は見ないという。推察するに、原因は除草剤、農薬散布、中性洗剤の使用、自然水路が減ったこと、それに、森林荒廃で沢の流量が安定しなくなったこと。多肥料投入による富栄養化もあるのかもしれない。それから敷地の荒廃。放置された空き地は、この最もいい季節にクズやカナムグラ、カラスウリなどのツル植物に覆われてしまう。草刈りなどの手入れをしないと、植物相は逆に種類が減り、貧弱になってしまうのだ。

今の季節、屋敷まわりに様々な昆虫をみる。オオムラサキを観察している間にも、ルリジガバチ(いわゆる青蜂/セイボウ)の一種がクモを加えて歩き回っていた。青い金属光沢の身体を持つ美しい蜂である。屋敷のまわりはとくにハチ類とクモ類が豊富で、お互いにせめぎあっているように見える。山村の屋敷周りは昆虫の宝庫である。

ヘビやネズミが嫌いなら石垣をコンクリートで塞いでしまい、虫が嫌いなら家まわりに除草剤をまき、網戸と殺虫剤で害虫を遮断すればよい。そんなもので住まいを防御すれば、たしかにいっとき快適に感じるかもしれない。

しかし僕らは、オオムラサキが家に止まりに来る環境を愛する。ダイコンを塩とトウガラシで漬けておいたものを取り出してみた。やや発酵臭が感じられ酸味が出ていたが塩気が足りない気がして、中の水分を切り、味噌と塩をまぶして漬けなおした。石の重しと蓋をして、北側の涼しいところに置いておくことにする。実はこんな家の中は様々な微生物や有益菌のすみかでもあり、漬け物に最適な環境なのである。

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鋸谷式を学びに大学生来る


環境系のイベント「富士山国際エコキャンプ村」の森林部門の講演・講師を引き受けることになり、実行委員の静岡大の2人がアトリエ訪問。事前に鋸谷式間伐を勉強したいということで、ナタ・ノコ、ヘルメット、密度管理竿まで持参というやる気満々の2人を本庄駅に迎えに行く。二人とも農学部、 にゃん太郎君は2年生、森林資源科学科。S子さんは4年生、人間環境科学科。環境問題を突き詰めて鋸谷式間伐にたどり着いたのである。

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達磨寺


昨年からけっこうな回数を高崎方面に通いながら、かの高崎ダルマ発祥の地、達磨寺は通過してばっか。で、ブルーノ・タウトの滞在を知った僕らは、今日はじめて参詣してきた。達磨寺の縁起がまた水戸光圀公に関係していたりして(僕は水戸生まれ水戸育ち)ちょっと驚いた。立派な山門をくぐって石段を上がると、鐘撞き堂が上にあり、その撞き棒はシュロの丸太が使われている。本殿の右にある観音堂は茅葺きですてきだった。中の金色の観音様はライトアップされその穏やかな顔を拝める。本殿の左にはミニ達磨博物館ともいうべき達磨堂があって、全国の達磨玩具などが展示されていて面白かった。むろん香川の金比羅一刀彫の達磨(マツ材)もあった。

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コルビュジエ


図書館で借りた『知られざるル・コルビュジエを求めて』(佐々木宏著、王国社/2005.5)という本を読んでいたら、コルビュジエの石積みと木骨構造の住宅設計のひとつ、エラスリス邸の図面が気になった。建築家として出発した10代後半の頃、コルビュジエは生まれ故郷のスイスで何件かの木造建築を手がけているが、このエラスリス邸は40代の設計だ。白い箱、いわゆるインターナショナル・スタイルとして世界中に影響を与えた後の住宅建築で、自然素材を荒々しく使うという新しい路線を打ち出したものである。

ところがそのアイデアが模倣されて、なんと日本の軽井沢に「夏の家」なるタイトルで建てられているのである。その建築家はアントニン・レーモンドといい、帝国ホテルを設計した巨匠フランク・ロイド・ライトの現場管理のために日本に来ていたチェコ生まれの建築家で、「夏の家」は彼自身の日本滞在時の別荘として建てられたのだった。

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