図書館で借りた『知られざるル・コルビュジエを求めて』(佐々木宏著、王国社/2005.5)という本を読んでいたら、コルビュジエの石積みと木骨構造の住宅設計のひとつ、エラスリス邸の図面が気になった。建築家として出発した10代後半の頃、コルビュジエは生まれ故郷のスイスで何件かの木造建築を手がけているが、このエラスリス邸は40代の設計だ。白い箱、いわゆるインターナショナル・スタイルとして世界中に影響を与えた後の住宅建築で、自然素材を荒々しく使うという新しい路線を打ち出したものである。
ところがそのアイデアが模倣されて、なんと日本の軽井沢に「夏の家」なるタイトルで建てられているのである。その建築家はアントニン・レーモンドといい、帝国ホテルを設計した巨匠フランク・ロイド・ライトの現場管理のために日本に来ていたチェコ生まれの建築家で、「夏の家」は彼自身の日本滞在時の別荘として建てられたのだった。
それをなぜコルビュジエが知ったかというと、レーモンドが当時のアメリカの建築雑誌に「ル・コルビュジエの原案による」と注記をつけて発表したからである。コルビュジエはこれにかなり憤慨し、自身の作品集の中で「夏の家」の写真や図面を掲載し、「この遠慮のなさ・・・」と題した文章を載せた。
さて、話はここからだ。このレーモンドだが、なんと高崎市にある群馬音楽センターの設計者なのだった!(って、だた僕が知らなすぎなだけだが)。かの群響や高崎観音の生みの親である実業家、井上房一郎氏がこのレーモンドと懇意にしていて、レーモンドの自邸をそっくりに設計した自宅までつくった。それは高崎駅近く、いま「哲学堂」の名で保存公開されているというのだ! まあその筋ではレーモンドはかなり有名な建築家であるらしい。ともあれ、僕はコルビュジエの木造建築を調べていて、高崎までたどり着いたのであった、
この井上氏というのがまたなかなかの人物らしい。なんでもかの建築家ブルーノ・タウトを高崎によんで、滞在させていたという(当時のブルーノ・タウトはナチスに追われていたのである)。達磨寺の心洗亭という場所に2年ほど居て、そのときの日記が『日本 タウトの日記』(岩波書店1975)にまとめられているという。タウトといえば桂離宮。彼が高崎に居たことあるなんて初めて知ったぜ!
季刊『上州風』11号にこの建築家レーモンドの特集があると知り、ちょうど返却期間をオーバーしていた藤岡図書館でバックナンバーを探してみたが、この号だけ欠けているのだ。残念。しかし上毛新聞社がこんなおしゃれな雑誌を出しているとは知らなかった。しかし、しかしである。この雑誌の別号記事で、「ぐんま昆虫の森」の建物を安藤忠雄が例のコンクリート打ちっぱなし&ガラスドームのトンデモ建築(なんで昆虫の森に木造じゃないのか?)で建設中であることを知った。しかも、インタビューの中で安藤は「里山は子供たちの未来の財産」とかなんとか、もっともらしい美辞麗句でまとめているのだった。ああ、このオトコの底が見えようというものだ。
里山の本質とは何か? 昆虫の森とは? それは『現代農業』今月号の僕の記事「山に入ろう 堆肥を積もう カブトムシはいま、ヤナギに寄ってくる」を読んでほしい。以前、安藤忠雄の広葉樹植林の美談に危惧を感じて、氏の設計事務所に手紙とともに『鋸谷式 新・間伐マニュアル』を送ったことがあったのだが、またこの記事コピーして送んなきゃなんないよ。自然の光や風や水を建築空間に取り入れるこの人の奇抜な発想は面白いと思うのだが、しかし法隆寺を見た後で淡路島の安藤設計の蓮池寺をみたときは、なんだかオモチャに見えてしまったな。
冒頭に戻れば、『知られざるル・コルビュジエを求めて』(佐々木宏著、王国社/2005.5)の初出は、『ル・コルビュジエ 建築・家具・人間・旅の全記録』(株エクスナレッジ/2002,7)で、実はこのムックを僕は’02年に購入し、アトリエに持ってきているのだった。「夏の家」は軽井沢の別の場所に移されてフランスの画家レイモン・ペイネの美術館として活用されているという。いずれ遊びに行ってみよう。
アトリエは築100年の木造民家で切妻屋根、総二階。上州の典型的な養蚕農家の建物だ。屋根のひさしの両端には大きなスズメバチの巣(不在)が下がっている。またテラスのスギ角材には親指大の穴が開いており、クマバチが出入りしている。このハチは民家の木材に穴を開け巣をつくることが多い。木造古民家は昆虫の生息域と境界がせめぎあっていて、昔の人は囲炉裏の煙で侵入を防いだりしていた。垣根、石垣、敷地の果樹など、周囲に多彩な昆虫を住まわせていたのが昔の家の暮らしだった。里山もまた、日々の暮らしと密接な関わりをもって存在していた。
コンクリートとガラスの建築に巣も作れず激突して死んでいく哀れな虫たち。コンクリートのプールと地面につながった自然の池とではそのエネルギー自体がまったくちがうのだ。プールの中の蓮はもはや蓮ではない。「木とともにある暮らし、木を使う文化」が里山を育てていたことを忘れてはならない。