昨年からけっこうな回数を高崎方面に通いながら、かの高崎ダルマ発祥の地、達磨寺は通過してばっか。で、ブルーノ・タウトの滞在を知った僕らは、今日はじめて参詣してきた。達磨寺の縁起がまた水戸光圀公に関係していたりして(僕は水戸生まれ水戸育ち)ちょっと驚いた。立派な山門をくぐって石段を上がると、鐘撞き堂が上にあり、その撞き棒はシュロの丸太が使われている。本殿の右にある観音堂は茅葺きですてきだった。中の金色の観音様はライトアップされその穏やかな顔を拝める。本殿の左にはミニ達磨博物館ともいうべき達磨堂があって、全国の達磨玩具などが展示されていて面白かった。むろん香川の金比羅一刀彫の達磨(マツ材)もあった。
さらに右の小道を下っていくと、タウト夫妻が2年3ヶ月滞在したという「洗心亭」があった。思ったよりも質素な建物で、亡命して荷物も少なかったであろうタウトの心情を思った。ここで庭園を散歩し、榛名と赤城を眺め、執筆を繰り返していたわけだ。しかし僕はタウトの桂離宮の絶賛よりも、国立西洋美術館設計のために来日したコルビュジエの、桂離宮をみたときの言葉「四角、四角、四角ばかりじゃないか・・・」に思いを馳せる。
「どうして日本人は細かいもの、細かいところに、あれだけのよい感覚と洗練さを示すのに、建物の壁以上の大きな世界での造形となるとダメなのか。おそらく日本には壁がないからだろう。壁のないことはわかる。天候・風土の関係もあるに違いない。あまりにも美しい自然のなかに溶け込みたいという気持ちもよくわかる。だが、すべてが細やかで、それがお互いに打ち消し合ってしまう。コントラストが不足している」(吉坂隆正/「ル・コルビュジュエの見た日本」朝日新聞’55.11,10)
駅近くの駐車場に車を入れて、高崎市美術館と哲学堂を回った。とはいえどちらも休館。外をぐるりとまわって見てきただけ。雰囲気は伝わってきた。帰りにブティックでハンチングを購入。デニム生地のものを探していたのだがちょうどいいのが見つかった。明日、講演先の大学生2人がアトリエに来ることになっており、その準備の買い出しをして帰宅。