戦後の昭和期、アマチュアによる蝶の生態解明が次々と成されていたとき、ヒサマツミドリシジミ(Chrysozephyrus hisamatsusanus)は日本で唯一生活史の分からない蝶であり「生態不明の最後のゼフィルス」と呼ばれた。当時、京都花背の杉峠がその産地として著名で、ゼフィルスはナラやカシの類(学名Quercus属)を食樹とするものが多いが、ここではなぜか杉の木に飛んでいて、それが食樹の発見を遅らせた原因でもあったそうだ。
主原憲司(すはら・けんじ)氏によりその生活史は明かされた。キリシマミドリの採卵に向かった永源寺のアカガシの中にヒサマツミドリの卵が混じっていたのだ。1968年のことである(日本鱗翅学会『蝶と蛾』Vol.20, No.3に発表された)。
つまり滋賀県の永源寺一帯がヒサマツミドリの生態解明の故郷なのである。僕は子供の頃から蝶の採集をやっていて、中高生の頃はゼフィルスを追いかけていた。最終的には県北の花園山周辺に通って山地性のゼフィルス狙い、奥山をひとりで彷徨っていたのだ。
当時の標本は今も大切に持っていて、中にはウスイロオナガ、オナガ、ウラミズジ、ウラクロ、エゾ、ジョウザン、アイノ、などが格納されているが、ヒサマツミドリは茨城には分布せず、遠い遠い憧れの蝶であった。でも、僕の蝶の採集遍歴は高校時代この山地性ゼフィルスに到達したことでピタリと終わってしまった(20数年後、タイに採集旅行に行くことになるが)。
その心にも小さな炎が再燃するときがある。昨年、高松市内の「高松ミライエ/高松市こども未来館」でヒサマツミドリの美しい標本に出会ってしまったのだ(当時の日記はこちら)。ヒサマツミドリは翅のエメラルドグリーンの輝きもいいのだが、その翅裏や、全体のシェイプがまたすばらしいのである。翅先がやや尖り気味で、尾錠突起も全ゼフィルスの中で最も長い。
そしてそのラベルを見て驚いた。そのヒサマツミドリの採集地(採卵〜飼育だが)はなんと滋賀県の永源寺だったのだ。前の年に、子どもキャンプwsした愛知川の流域ではないか(当時の日記はこちら)。この愛知川がまたすごい川で、集水域がめちゃくちゃ大きい。鈴鹿山脈の半分以上の水域の水がこの川に集まっているのだ。
下流域には織田信長の築いた安土城址があった。そして琵琶湖の河口には、すでに埋め立てられてしまったが大中湖(だいなかのこ)という、かつて40数か所あった琵琶湖の内湖の中で最大の面積を持つ(諏訪湖よりも大きい)中湖(なかうみ)が存在した。中湖にはヨシ群落があって様々に使われ、その良質なヨシは江戸時代には年貢にもなって水運で京都や大阪へ運ばれたという。
また、ヨシ群落は多様な生物の棲みかであり、水質の浄化作用も持ち、琵琶湖の魚たちの産卵場・揺籃の地でもあった。ここで育った稚魚が琵琶湖へと旅立っていったわけで、魚類たちにとっても極めて重要な場所であったのだ。その大中湖を作ったのが愛知川の砂州なのである。
現在は干拓されて大中湖は消え、愛知川にも大きなダムができて、上流にビワマスが遡上することもできなくなってしまった。以前、「大地の再生」でこの付近の水郷の古民家を見せていただいたことがあるが(報告日記はこちら)、そこには山からの湧き水を家の周囲にめぐらせる「川端(カバタ)」があった。
川端は琵琶湖畔特有の湧き水を生活用水(洗い物など)に利用するシステムで、家の中に引き込んでいるものを「かわや」とも言い、現在多く残るのは高島など琵琶湖の湖西〜湖北エリアである。湖東にあるのは愛知川の豊富な水量(地下水)も影響しているのだろう。
ともあれ琵琶湖とその周囲の自然は興味が尽きない。このところ琵琶湖周辺には縁があり、薪火のワークショップをやったり(日記はこちら)、写真家の今森光彦さんのフィールドにおじゃましたり(日記はこちら)、目まぐるしくテーマがやってくる。
今回は石を使った庭づくりを手伝ってほしいという話があり、その下見を兼ねている。Yさんはエンジニアだが建築設計もでき、自分で設計した瀟洒な家に住まわれている。そこで酒食をごちそうになった。庭づくりは家の中に入って外を見ることも大事なのでよい機会だった。
お酒は地元の「松の司」の大吟醸が次々と出てきて、これが愛知川の伏流水を使ったものなのだ。Yさん自身も永源寺でイベントを主宰されていて、愛知川流域にとても関心を持たれている。というのもYさんの亡父が琵琶湖の魚漁が好きな人で、子供の頃から様々な体験をされているのだ。そして『現代農業』の連載時代から僕のイラストに注目してくれていたそうだ。
というわけで、今日は高松を早立ちして、開館すぐの琵琶湖博物館に入り、その後やっちゃん宅で行われていた「たむたむ八日の市」に合流し、紙芝居をやってからYさん宅に行ったのであった。
琵琶湖博物館は初めてなのですごく楽しみにしていた。ヨシのことを勉強したりタナゴ類の水槽を見たり、そしてもちろんヒサマツミドリの標本もあった。約束がなければたぶん閉館時間までいたと思う(笑)。
それにしても植物や昆虫の激減ぶりは酷いと、主原憲司さんがエッセイの中に書いている(奥山から生物が消えていく。奥山破壊、駆除、そして温暖化/THE BIG ISSUE JAPAN 110号)。
「私はもともと昆虫が専門ですが、観察していた虫はもうほとんどいなくなり、今は森を歩いていても悲しいほど虫に出合わない」
氏はナラ枯れやどんぐりの発芽の悪さを、地球温暖化に結びつけている。が、けっしてそれだけではないのだ。大地の詰まりこそが最大の原因なのである。虫や熊たちのためにも「大地の再生」を急がねばならないのだ。