朝飯にりんごと柿を食べていると、近所に住む女性木工家の平尾智子さんがやってきた。智子さんは動物を彫る作家で、以前奥永源寺の「匠の祭」に出店されてお会いしていた。写真を見せながら今回の仕事の話などをする。また、アイアン作家などを紹介してもらった。
昼は「ヴォーリズの森」で昼食を共にしながら代表の河合嗣生さんとお話できた。河合さんはこの夏の「西の湖レンジャー蛇砂川のゴミをすくえ!」の主催者でそのときカヌーに乗らせていただいた。その後、Facebookの書き込みから同世代の昆虫少年であったことが判明。
僕と河合さんは同じ年の生まれで、僕らが中高生の頃は日本の蝶類相が解明される最後の沸騰期だった。なかでも河合さんの住む京都北部エリアは、山地性ゼフィルスの宝庫であり、他にもキマダラルリツバメ、スギタニルリシジミなど昆虫少年憧れの宝石のような蝶類が生息する全国的にも有名な採集地だった。
河合さんは海外経験もありそれらの採集(撮影)奇譚は抱腹絶倒で時の経つのを忘れるほどだった。いずれにしても日本の自然の最後の残り火を経験できた世代であるにちがいなく、知っているが故に現状の酷さに諦観や憂いを漂わせつつ、どんなに困難であろうとも次の世代に再生の手がかりを残すべく足掻いている同志なのである。
「ヴォーリズの森」は近江八幡にある「学校法人ヴォーリズ学園」が所有する野外活動教育・環境教育施設で、昨年春より河合さんらを中心に再整備を行なっている。敷地内に小さな池があるのが琵琶湖エリアらしくて良いなと思った。ここ西ノ湖のエリアは琵琶湖のヨシ文化の生産拠点ともいっていい場所で、魚類や水鳥の生息地としても大変豊かな場所である。
ヴォーリズは建築家として学校や教会、病院などに洋風建築を多数残した。京都では四条大橋たもとにある中華レストラン「東華菜館」は誰でも見覚えがあるだろいう。御所に近いチューダー様式の「大丸ヴィラ」もすばらしい。近江八幡にも多数建築が残され現役で使われているのだが、まだぜんぜ見れていない。
その後、東近江市の妹町にある「音雨音木工所」を訪ねる。工房を主催する竹内鉄平君は前回の囲炉裏づくりでちゃた君ととも大工仕事に手を貸してくれた。地元の広葉樹で家具を作っている。
生木から作ってその収縮や曲がり癖を利用して組んでしまうグリーンウッドワークも取り入れており、ゴッホの椅子のようなざっくりとした手削りのテクスチャーにも魅せられているようだった。
クサビによる丸太割りやヨキによるハツリ、トチカンによる集材を知らないというので、荷物から刃物を取り出して一部実演することになった(笑)。本当は、木工というのは原木伐採から始まってまずここを通過すべきなのだが、若い現代人たちはどうしても電動工具から入ってしまうので、プロでさえこの手仕事の部分がすっぽり抜け落ちている。
「こんな大内さんのお話会を聴くだけでもイベントになっちゃうんじゃないの?」
という鉄平君の驚きに、やっちゃんも強く頷くのであった(笑)。そろそろ夕暮れて帰宅の時間が迫ってきたが、ここから囲炉裏を作った家田君宅も近いのでちょっと覗きに行くことにした。
あれから3週間、Facebookでは囲炉裏や薪火暮らしにしっかりハマっている様子が伝わってきていたが、いろいろ細かい点でズレが見られたのでちょっと指導しておいた。いちばんマズかったのは重い鉄鍋を現在の自在カギで長いこと吊るしていたということで、この場合は五徳を使って支えつつ、自在カギは補助にするべきだった(横架材の竹に割れが入った)。
また、行火とコタツの関係でも敷布団と掛け布団の理解ができていなかったりと、力学や断熱に関する基本理解(体感)がイマイチわかっていないようだった。昔なら幼少期から暮らしの中で当たり前のように叩き込まれている体感が、若い人たちには希薄なのだ。これは僕が描いているマニュアルそれ以前の問題であり、なかなか悩ましい。
というわけで今日も4組の人たちと接触できて有意義な1日だった。
こうしてようやくスバルのハンドルを握って高松へ帰ることができた。夕食は抜きでコンビニで買った甘栗とアーモンドとハイカカオのチョコを舐めながら、仮眠しつつまたしても日にちをまたいでしまい・・・
到着は明け方の3:30だった😂。