沖島の講座を終えて、残り2日間は近江八幡市内のOさんの古民家で行われる。講座中2泊の宿泊場所もその古民家をお借りして、夜はプロジェクターを使った座学も行われた。座学は矢野さんの基本的な講義に加えて、古民家周囲の地形や歴史に詳しい地元の方のレクチャーがあった。
今回のコーディネーターである東近江在住のやっちゃんが琵琶湖の大型地図を作ってきた。そこで子供たちに琵琶湖クイズをやるなど前座も盛り上がったのだった。

大きな地図でみるとよくわかるのだがここ近江八幡は平野が広く琵琶湖の中心部といえる。そもそも琵琶湖は日本のへそにあたり、東西南北をつなぐ要の位置にある。昔は水運も盛んだったので、古代から現代に至るまで重要な交通の要衝だった。
そして、ここには昭和期に干拓されるまで大きな内湖「大中の湖」(おおなかのこ)が存在した。内湖は琵琶湖に流れ込む河川の砂州がつくった潟であり、平均水深は2mにも満たない浅い湖である。岸辺にはヨシ群落が広がりヨシは生活の素材として様々に利用されていた。この古民家のある場所は織田信長の安土城址が近いが、信長の時代にはヨシが年貢として取引されたほど良質なものであった。


また、ヨシ群落は魚や鳥たちのすみかで揺籃の地であり、湖水の浄化装置でもあった(とくに大中の湖は琵琶湖周囲で最大の魚類の産卵場だった)。琵琶湖周りにはは40数個の内湖があり、その総面積は1940年(昭和15年)時点で29km2に及んでいたが、現存しているのは23個であり、総面積は4.25km2まで縮小した。そして、大部分が人工護岸化されたのである。

ちなみに干拓とは埋め立てて造るものではない。元の地形レベルはほぼそのままで、堰や護岸を作りポンプで水を汲み出しているのである(だから干拓地は琵琶湖水面よりも2〜3mも低い)。もちろん維持費もばかにならない。大中の湖土地改良区の排水ポンプの稼働経費は年間5,000万円かかり、農家一戸あたり30万円の賦課金を徴収しているという((2011.1.23『滋賀民報』)。

Oさんの古民家はこのかつての水郷地帯にあるが、背後に標高400m程の山を抱えており、その山からの湧き水を家の周囲にめぐらせ「川端(カバタ)」※として使っていた。現在は塞いでしまい使われていないのだが水路網は存在する。
※川端(カバタ):琵琶湖畔特有の湧き水を生活用水(洗い物など)に利用するシステム。周囲を山から生まれた地下水は琵琶湖の巨大な水圧に押されて自噴する場所も多い。現在多く残るのは高島など琵琶湖の湖西〜湖北エリア。
ご両親が亡くなられ、家を継ぐべく都会から戻られてOさんご夫妻はこの古民家に住み始めたが、水路の一部は暗渠に変わり周囲の建物も変貌して、家が傷み始めていた。プロの手を借りて改装を始めたものの、小さな土石流に見舞われたり、家中の地面が陥没して水路の水が回り込むのを見るに及んで、「大地の再生」にたどり着いたのである。

カバタは自然と共存するすばらしいシステムだが、家の周りに水路があるわけだから、ひとつ手入れをまちがえれば土台が水気にさらされ木材の腐朽を呼ぶ。また、水路は上下流のつながりがあるので、自分のところだけ考えればいいというものでもない。

背後から山が始まる水路は、奥山と里山の接点であり、集落の水脈の大事なところだ。

裏側の水路にカバタの跡がある。Hさんはこの水路にスイカなどを冷やしていたのを覚えているという。

今回の水路周りの矢野さんの処方を見ていると、石積みや囲炉裏と同じように、口伝や結による共同作業によって受け継がれてきた水路管理のシステムが、この数十年で消失するという危機的な状況をありありと感じた。
これはどんな先端の現代土木や科学技術の粋を持ってしても解決できない。水や空気の流れを読んで土と石と木・植物(有機物)を活かす昔に戻るしかないのである。また、昔に戻ろうにも既にコンクリート構造物に変わった場所は、現代的なアレンジを施して同じ機能を回復させる。
たとえばコンクリートの三面張になってしまった既存の水路は、中の落ち葉をすべてさらい上げることはせず、

落ち葉や腐葉土の適当な堆積を残して。クワで蛇行した筋みちをつけてやる。

さらに両脇に枝葉の有機物を追加して、石で重みをかぶせて動かないように止める。つまりコンクリート水路の中に新たな自然水路を「入れ子」のように作ってしまうのだ。

水路の外側の地面を少し掘ってやり、所々に点穴を作ってやる。この溝にも雨のときは水が流れるので、できるなら下流側のどこかでコンクリートの壁の天端を欠いて水路に落ちるようにしてやるとよい。

その際、尖った部分を作らないようにする。空気や水が滑らかに通るような曲線を描くように、自然がやったような作業の風合いを出すのが大事だ。しかし、水脈溝や点穴の底は逆三角形に尖らせたほうが良い。渦流を作って泥アクの団粒化を図るためだ。縦方向にも浸透しやすい。
かつて石積みの開かれた水路はコンクリートの暗渠に変わり、一部は埋め立てられた。それで雨の日は地面に「水たまり」ができるようになった。水たまりができるのは地面が詰まっているサインだ。底には泥だまりができ、乾けばホコリを立てる。
泥だまりが厚い堆積を繰り返せば、ヘドロ化して有機ガスを発生させる。その臭いはヒトだけが不快なのではなく、周囲の植物を弱らせる。植物が弱れば根っこが細根を出せず、植物自体が地面の空気通しをする力がますます弱まる。この負のスパイラルに陥っている場所が、現代は都会から田舎までかなりの面積を覆っているのだ。

当然ながら地下水は涵養されず、大雨のときのオーバーフロー水(それは泥アクを大量に含む)だけが川や湖に流れ込む、ということになる。地球温暖化の原因は、CO2の増加やヒートアイランド現象だけではない。この現代土木構造物による遮断と泥アクによる「地中の空気や水の流れの詰まり」も大きい。
水たまりができるのは地面の空気穴が泥の膜によって塞がれているからだ。移植ゴテで表層5㎝を引っ掻いて水たまりの水を排水溝に誘導してやればよい。水が移動するだけでなく縦方向にも浸透する。やがて裸地にも草が生えてくるようになる。地中にタネはあるのに発芽しないのは土の中の空気が動かないからだ。
「泥アクが消えると明るくなる」「草が生え、苔の色がよくなる」
溝には炭と枝葉を入れて、周囲にはチップをまいてグランドカバーをして仕上げる。

屋敷周りの植物の剪定。これによって風通しをよくする。水脈の上の風通しはとくに大事。

小さな側溝はグレーチングを開けて腐葉土ゴミをいったん取り去り、コルゲート管を入れて、

隙間に炭と枝葉を入れ・・・

もういちど蓋をする。これでメンテナンスがかなり楽になる。今後はこのような製品がセットで開発されるべきだろう。

翌朝の風景。物の配置も重要。風が通るように置く。その風も一カ所を大きく開けるのではなく程よく全体に動くようにする。

だから植物を刈り過ぎないことも大事だ。こうして泥アクが消えて風が通るようになると、不思議とチョウやトンボやミツバチ、そして小鳥たちなどが、さっそくやって来て、嬉しそうに飛び回るのである。

午前中の雨で寒かったこともありちょうど広場に処分したい廃材などが多数あって、午後には「矢野式・焚き火法」のレクチャーが始まった。これは参加者にとって得難い余禄であったろう。太薪を組み合わせて多角形のリングを作り、その中で炎を上がらせるもので、矢野さんの空気視点を取り入れたきわめて安全で合理的な燃やし方である。

実は今日は僕の誕生日で、焚き火のお茶の時間に「たむたむ畑」のメンバーSさん手作りのケーキが届けられた。と思ったら、大地の古株リリーさんが同じ誕生日と判明(!)して、共同で皆に祝っていただいた♬ ありがとうございました!

夜は再び座学。今朝ホテルで昨日の作業のイラストラフを描いておき、空き時間に車の中でPC作業をして現場写真とともにKeynoteでまとめ、夕刻矢野さんにチェックを入れてもらったスライドで僕が30分ほどレクチャー。その後矢野さんにつないで終了後は・・・
そのまま Oさん宅で誕生会が始まる。ケーキを切って皆で食べ、やっちゃんの差し入れ、地元近江八幡の地酒「松の司」の封が切られる。製造元の松瀬酒造(株)は原材料の環境への取り組みにも意欲的な酒造会社だ。

そして、驚きは施主のOさんが自家製の鮒寿司を作られていることだった(!)。 かつて琵琶湖畔の民家では昔はどの家でも鮒寿司を自家製していた。Oさんは実家に戻られてから自ら鮒寿司作りを学び始め、2年目だという。樽から開けたばかりの、卵のしっかり詰まったニゴロブナの鮒寿司をOさんが振舞ってくれた。

この鮒寿司が、地酒の純米吟醸に最高の肴であるのは言うまでもない。忘れがたい誕生日になった。