囲炉裏パン/その3


天気がよく暖かいので、相方と森に入って薪拾いをする。生きた木を伐採したものは乾燥の時間が必用だが、落下した枯れ枝はその手間がいらず、すぐ薪として使える。囲炉裏ではこんな細い枝も役にたつ。太い薪だけでは炎が立たず煙ることがあるが、同時に細かい薪を燃やしておくと炎が安定して具合がよかったりするのである。小1時間で背負子4杯分の小枝を集め、それをいくつかの束にしばって使いやすくまとめておく。このような枯れ枝は(スギの枯れ枝も)、昔は各戸で競い合うように拾ったのだが、いまは誰も使わないので拾いほうだいである。

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連載終了


前日から『現代農業』連載の本描きにかかる。しかしまあ毎回毎回、なんと手の込んだイラストだ(笑)。編集部でOKのでた下書きラフをじわじわ本描き用に細部まで仕上げ(この時点で下描きの紙は消しゴム跡でボロボロ)、それをライトボックスで水彩紙に鉛筆でトレース。水彩紙に直接下書きしないのは、厳密な線や手書き文字を含むイラストなので、描いては消しという繰り返し作業を水彩紙に落としたくないからだ。

下書きを正確にトレースされた線を練りゴムで淡く消し、ペンの線で仕上げていく。下書きの線が正確だからといって、その上をペンでなぞれば絵ができ上がるかというと決してそうじゃないのが絵の恐ろしいところなのだ。下書きの淡い線をたよりにしながらも、ここはゼロからモノを描く気持ちでいく。鉛筆の線に甘えると失敗する。水彩ペンの0.05ミリ、0.1ミリの2本を使い分け、微妙なタッチで線に強弱をつけることを忘れない。

連載イラストの中には丸や楕円のシャープな線が求められることがままある。手描きで正確に描くのは難しいのでここは楕円定規や雲定規を使う。定規を使ってシャープな線をみせることで、人物などのジャギーな線がひきたってくる。全体としてメリハリが出、豊かな印象になってくる。これが線のマジックだ。が、この定規の使い方がまた、非常に職人的で難しいのだ。

この楕円定規も2~3枚持っていればいいかというと、とんでもないのだ。僕が持っているのは、東京神田にある「タニー商会」というところで買った楕円定規セットで、楕円角15度から5度ごとに60度まで(35度だけは5枚)、楕円幅4mmから80mmまで、1mmごとに(10mmまでは0.5mmごと)各4枚と、合計で41枚もある。

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笠間と結城


前日、水戸への途中、笠間に立ち寄って「茨城県陶芸美術館」で板谷波山(いたや・はざん1879~1953)の作品を見たのを書き忘れた。植物のモチーフの彫り模様を施した気品ある白磁や彩磁の花瓶がすばらしく圧倒された。

朝、水戸の編集者Sさんといつものファミレスで打ち合わせ。年度内におさめる筑波山周辺のイラストマップを引き受けることになりあわただしい。再来週は取材にまた水戸から県南に行くことになりそうだ。

Sさんとのイラストマップの仕事も長い。僕らは一般のお手軽なイラストマップの手法とちがい、現地踏査や入念な構成を経て何倍もの手間をかけ、これまで様々な絵地図を送り出してきた。この茨城の自然と風土のすばらしを、高らかに歌い上げるべく手法をこらしてきたつもりだ。が、いかんせん様々な障害があり、納得のいく仕事になったと言えないものも多い。また、著作権買い取りなので、作品を再版できなかったり、ネームが入らないので内容を剽窃されたりもして、何度か悔しい思いをしてきた。ところが、さすがに努力が評価されてきたのかSさんにタイムリーな連載の話が来ているという。将来は出版物になれば、それが最も実りある完成だ。楽しみである。

その後、弘道館を見、旧県庁の観光コーナーで資料を入手して結城へ。結城つむぎをぜひ見たいという相方のたっての希望だった。結城つむぎは絹糸の紡ぎ方から糸の染色、原始的ないざり織りという手法から、すべてが機械化ができない手のかかる織物である。しかし、結城にはまだまだ織り手がいて、資料館などを個人が開いていたりする。ギャラリーものぞいてきた。古い建物がまだ現役で機能している風景がよかった。


水戸のIEON


天気がいいので実家の水戸へ行くことにする。Copenは小さく軽く、軽快に走るので、思い立ったときにささっと行動に移せるのがいい。カーナビも運転のストレスを大きく軽減してくれる。それでも、途中で渋滞もあり水戸まで4時間以上かかった。アトリエ産のジャガイモと干し柿を父の霊前に置き、水戸市に併合された旧内原町に巨大マーケット「IEON」へ行ってみる。

明らかにいままでのタイプのマーケットとちがう、と思わされたのは、中にリラクリゼーション・サロンや料理教室などが組み込まれていることで、それらがガラス張りで開放的であること、お客がお客に見られることで、店内が演劇的空間に満ちているのだ。しかし県庁の郊外への移転といい、畑の中に突如宇宙船のように出現したこのマーケットといい、水戸は、いや日本と日本人はいったいどこへ行こうとしているのだろうか。

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だるま市


『現代農業』のラフの修正が出て、朝から仕事モード。FAXしてようやくOKが出て、夕刻からコペンでお出かけ。高崎だるま市の初体験。人も出店も多かったけど、どうもだるまに願掛けするというご利益信仰がいただけない。それにきちんとお金のランクがある、という商売になっているところも悲しい。結局は買わず、広島風お好み焼きを1枚食べて帰還。秩父夜祭りといい、だるま市といい、本質の上質な部分は消えてしまい、欲望の渦とテキ屋ランドと化してしまっているかのようだ。いまの神社やお寺っていったい何なのだろう?

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