午前中、Gomyo倶楽部メンバー2名SさんIさんが新著を購入にやってきた。これで個人的に入荷したぶんの30冊がきれいになくなってしまった。
Sさんは香西港に住むご近所さんで仕事は布物を扱う縫製業である。前回は新海苔をいただいたり雑巾などを縫ってもらったりした。今日は手作りのキッシュを持ってきてくれた。で、お返しに手作りのキムチが、キッシュを入れてきた琺瑯容器の中に入るw。
Iさんも毎年手作り醤油をつくるほど食べ物や料理に詳しいが、そういえばIさんの実家は志度の漁師・・・ということで海の食べ物話で盛り上がる。今回、Sさんの話で初めて知ったのだが、香西のイオンがあった場所はかつて森だったのだそうだ。あそこが開発された時、ウなどの鳥の巣が壊され一時的に隣の芝山に大群が逗留してしまい、大変なことになったとか・・・。いや、知らなかった。
開発の免罪符として「木を植えています」というフレーズをイオンは掲げ、それを指導したのが宮脇昭氏であった。僕は2011年に出版した『「植えない」森づくり—自然が教える新しい林業の姿』の中でそのイオンの植林美談と宮脇氏を批判したが、ここ香西の例はまさに森を破壊して、駐車場の周りにわずかばかりの木を植えたのである。
それだけではない。香西の港近くには旧道に商店街や飲食店などがあったが、イオンの進出で壊滅的に寂れてしまった。また漁師たちが海砂の採取権を売り渡してしまい、漁場が大きく荒廃した。そんな自然環境の激動をSさんは子供の頃から見てきたという。
おそらく全国に何10カ所もあるイオンの開発で、表には出てこない様々な破壊と悲劇が繰り広げられてきたのだ。山暮らし時代に経験した群馬県高崎市の例を、以前ブログに書いたことがある。
しかし、そのような開発をみちびいたものはそもそも何だったのか? ということを考えねばならない。その元をたどれば日米構造協議による大規模小売店法(大店法)の改正(1991-2000年)があるのだ。
宮脇氏とは2006年に同じシンポジウムで講演したことがあるが、残念ながら僕の主張が理解されるには至らなかった(宮脇氏は一昨年93歳で鬼籍に入られた)。
「大地の再生」の矢野さんと宮脇氏とのニアミスも面白いエピソードがある。斜面をまっすぐに降りていく管理道のために植樹した森が育たなかったのを、矢野さんは「抵抗柵」の手法で見事に解決した。新著の93ページにそのイラストが描いてある。
夜は最後のキムチひと玉を開封、小切りしてキムチ鍋。
完食して・・・
サリ麺と卵。
塩味のキッシュは僕は夜にワインのお供でいただいた。ごちそうさま♬ もう少し香西と瀬戸内の昔話を聞かせてほしい。