宮脇昭氏と供に


今日は埼玉県の鶴ヶ島市で講演。前日からプロジェクターで映す資料を作ったり忙しかった。その仕事が全部終わらず、早朝起きて残りをやろうと思って窓を見ると雪(!) 慌てて早めにアトリエを出る。国道に下りると雨に近いみぞれになって、ほっとする。「つるがしま里山サポートクラブ」の招きで、今回はNPO法人設立記念講演というふれこみで横浜国大名誉教授の宮脇昭氏をトリに、僕はその前座で「人工林の現状とその解決策としての鋸谷式間伐の話を」という依頼だった。場所はこの市民グループを支援しているパイオニア総合研究所の一室で。

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宮脇昭氏は近年書籍やテレビで盛んにその活動が紹介されており、本もよく売れているようだ。森以外のNPO活動をしている人などにも知名度が高いことに驚いたことがあるが、それだけに彼のあまりに植林寄りの発言には心配していた。その本はみなほとんど同じ内容で、自分の調査の苦労話、立身出世物語、鎮守の森礼参、その独特な植林実績と成功例の紹介、といったものだ。僕も何冊か読んでみたが、最初はそのエネルギッシュな彼の行動や言葉に引き込まれていくのだが、読み進むうちに心が冷え冷えとしてきて、さらに数々の疑問がわき上がってくるのだった。

彼の本の特徴は、

1)「綿密な調査で日本の潜在植生を解明した」というが、その根拠や調査法などがはっきり書かれていないこと。
2)木や森に対して「本物」と「偽物」という決めつけを行なうこと。
3)「災害に対して強い森」という恐怖を煽る観点から森づくりを語ること。

森が麗しいだとか、森の素材を使う便利さや永続性だとか、その中の美しい花々や鳥や昆虫の話などはいっさい出てこない。彼にとって森は生の喜びの対象ではないようだ。むしろ、少年時代の農耕の手伝いを悲惨なものと捉えており、開発や近代化を肯定して、それに寄り添うために「鎮守の森」と彼が称する人工林を造っていく、という発想だ。

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しかし、これは一方で大変危険な言い回しである。開発側にとって「宮脇植林」は非常に都合のいい免罪符になるからだ。企業にとってさらにいいことに、その植林はボランティアを使うことで安くつき、しかも管理費が削減できる。

その植林に参加した人々が本当にその植林の森を愛せるかどうかということは疑問である。いっときの植林の陶酔感、「本物」「災害に対して強い森」という言葉だけの概念、そんなものだけでアスファルトやコンクリートの荒涼とした中に出現する緑を自分の血肉として愛せるはずがない。むしろ、このような場所(国内の宮脇植林は「工場敷地」「道路の法面」「巨大スーパーの駐車場」といった場所が多い)に常緑の暗い森ができた場合、犯罪の温床やゴミ放棄場になる危険が多分にあると思う。

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潜在植生の木々を本物、その他は偽物、と決めつけ、それを少年少女たちに堂々と説明してしまうことにも疑問を感じる。外来種を偽物と決めつけるのはまだしも、二次植生の森を簡単に「偽物」などと決めつけていいものか? たとえばカタクリやギフチョウ、カブト虫は二次植生の森に依存するが、それらも偽物ということになってしまう。「緩やかな撹乱」とも呼べる二次植生のダイナミックな変化を、日本人は数千年の叡智をかけて利用してきた。それが「持続可能な」食料生産力をもたらしてきた。川にも沿岸にもそれが及んでいた。不思議なことに、そのような「森を上手く使う」中に多彩な動植物が満ちている。日本では、二次植生に依存する美しい昆虫が非常に多いのである。かぐわしい野草が非常に多いのである。これは「そのように森を使い回せばうまく生きられるぞ」という造化の神のサインであると思う。

彼の論法でいくと、そのような森との付き合いは今後は不要で、近代エネルギーも資材も食料のグローバル化も礼賛で、不要な二次林や人工林はみな潜在植生の森(関東以南はみなカシ、タブ林になってしまう?)に変えてしまえばいい、という考えのようだ。しかしいま、一次産業を海外に依存するのは危険きわまりない。霞ヶ浦の周辺のスーパーでさえ中国産のシジミを売っているが、今後安全なシジミが中国から安定供給されるという保証はどこにもない。

残念ながら僕の講演の持ち時間は30分と少な過ぎ、しかも宮脇教授はその間会場にはおらず、僕の人工林の話は聞いてもらえなかったようだ。その後の彼の話は著書の内容から一歩も出ていなかった。その後の質疑応答コーナーで僕らは壇上に上がったが、宮脇さんは「遅く来てすいません」とやや硬直した笑みをうかべて僕に握手を求めてきた。

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会場から「人工林の間伐をすれば潜在植生の木は自然に生えてくる。植林は不要ではないのか? いま最も急がれるのは、都市での植林ではなく、山間部の人工林の間伐ではないのか? なぜなら、都市の人が依存する水も山から来ているのであり、その山は間伐遅れで崩壊する場所もおきているのだから」という質問が飛んだ。

宮脇氏は「人工林を強度間伐しても生えてくるのは先駆樹種の陽樹であり、それは本物ではない。だからやはり潜在植生を植えねばならない」と言い、林野庁にもそのように提言しているという。あまりに終止植林を強調するので彼の話をさえぎって僕がマイクを持たざる得なかった。「先生、お言葉ですが決してそんなことはありませんよ。確かに、最初は陽樹が生えますが、やがて条件が変わって陰樹が出てきます。現場で仕事をされている作業員の方もそれは実感されているはずです」と僕は言った。

さらに伊勢神宮宮域林の実例を話した。ここは5,500haの壮大な実験場とも言える。宮域林はかつて神宮遷宮の御用材の山だったが、伐り尽くした後はお伊勢参りの客の燃料供給で禿げ山・洪水の山と呼ばれるほどの荒山だった。大正年間に林学者本多静六(日本の近代林学の基礎を築いた)らが参画、造林が始まった。面積の半分はヒノキ植林の強度間伐施業、半分は完全放置というものだが、今ではヒノキは次回の遷宮に使えるまでに成長し、放置された場所も原生の樹種が甦っている。ここでは広葉樹の植林はなされていないのだ。そればかりかヒノキ林の中に生えてきた郷土木の広葉樹は、側圧がかかるために用材として使いやすい樹形に育つ。(『鋸谷式 新・間伐マニュアル』全林協/大内’02 参照)

それに対して宮脇氏は「1カ所ではなかなかそうは決めつけられない」と話を濁して、時間切れとなった。しかし、彼のスライドの話の中でもマツ枯れ跡地に常緑樹が生えてきている話をしていたではないか。”禿げ山を放置して潜在植生の森になるまで2~300年かかる”という林学の常識は、欧米のクレメンツ遷移説あたりから来ているのだろうが、日本ではもっとずっと回復が早いのではないか? 日本はヨーロッパ諸国に比べて年間雨量が多い。しかも日照時間の長い初夏に梅雨があり、日本海側では大雪の蓄積がある。気温がほど良く、腐葉土の分解時間が適度で、表土に養分が保たれる(寒帯では寒くて分解せず、熱帯では分解が早過ぎて表土は貧弱になる)。日本は地球的にみて特殊な国なのだ。

そこまで言及できなかったのは残念だが、僕の講演でのお客さんの反応はすこぶる良かったようだ。短い講演時間だったが、最後の5分に神流アトリエの活動風景をiPhotoのスライドショウで流した。森と共にある暮らしは喜びがともなうということを伝えたかったのだ。

本やCDもよく売れた。予想もせず高校時代の同級生に再会した。テレビで僕の活動を知り、ネットで探してこの講演に水戸から駆けつけてくれたという。30年ぶりの再会だった。「しかしオオウチはあの頃の思いそのまま、まったく筋が通ったことをやっているよな。水戸で何かやるときは協力するよ!」森林ボランティアに初参加して森にのめり込んで今年で丸十年。今回の講演は僕にとっても大きな節目で、また新たな決意を生み出すものとなったのでした。

追記:主催者側の情報によると「宮脇さんの到着を確認して、大内さんの講演をスタートしました。宮脇さんはトイレに駆け込み、その後市役所関係者に、別室に監禁? されました。今回の講演会の目的の一つは、宮脇さんに大内さんの講演を、聞いていただきたかったことです。これだけは、多いに心残りとなりました」とのことだ。


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