山村のコンクリート


午後、イタルさんがやってきた。

「オオウチさんとこの庭のザリ、貰えねえかい・・・」

ザリって何? と思ったが、よくよく聴いてみると、コンクリートを打ちたいので骨材の砂利(ジャリ→ザリ/群馬の訛り?)が必要、ということらしい。

工事現場はアトリエのコペン駐車場のある道(イタルさんも日常使っている)。その割れ目を直したいということらしかった。へこみは電柱の工事の人が作ってしまったらしいが、実は数ヶ月前から、穴の陥没がやや大きくなり、心配していたところだった。

で、その穴にコンクリ-トを打って塞ぎたいのだが、セメントは水で練っただけでは強度が弱い。その中に砂と小石(ジャリ)を混ぜるとコンクリートになるのである。

イタルさんの言う「庭のザリ」というのは、アトリエに隣接するイタルさんちの下屋の雨排水が、一部ウチの庭を伝って石垣から落ちる(染みる)ようになっているのだが、その溝をいっしょに掘ったこときジャリが多く出てきたのを、イタルさんは覚えていたのだった。

「今日は出かけるのかい?」

「手伝いますよ」

山村では突然仕事が始まるのだ。コンクリートの打ち方を覚えるいいチャンスである。

イタルさんはこの地で養蚕と農業で暮らしてきた人だが、出稼ぎで土木工事に出たときもある。だから、現場仕事はとても詳しい。山村の人たち(7~80代の老人たち)は、身の回りのことは木こりも土木工事も大工仕事もほとんどこなす。凄いことである。

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電磁調理と擂粉木と


佳日、高崎に出たついでに、かねてから気になっていた住宅展示場に行ってみた。現代最先端の建て売りや注文住宅というものはいったいどうなっているのか? という興味がわいたのである。ちょうど大手住宅メーカーのモデルハウスが集結する場所があった。そこで3~4軒ばかり回ってみた。衝撃を受けた(笑)。もうクラクラである。

高気密住宅、オール電化、床暖房、3重窓、いやはや凄いのなんのって。外部は遮断して自分たちの暮らしだけが快適ならいい、という発想だ。まず家じゅう明る過ぎ、ピカピカ過ぎ、ほとんど悪趣味なギャラリー、またはカフェ。すき間なんて全くないので息苦しくて苦しくて、アトリエの木と土と風に慣れた僕らは入って瞬時に気持ち悪くなるのだった。なんというかその気持ち悪さは、肺だけではなく皮膚そのものから感じられるものだ。

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高山社と群馬の養蚕


1/23、「富岡製糸場と絹産業遺産群」が世界遺産暫定リストに選ばれた。製糸場のある富岡市ではお祝いに市民3000人の提灯行列が行なわれたとかで、富岡でこんな提灯行列は戦時中のシンガポール陥落以来という騒ぎだったらしい(笑)。

築100年の養蚕民家に住んでいることもあり、僕らも引っ越し早々この建物のルーツや群馬の養蚕の歴史、桐生の織物について学び始めた。高山社の養蚕法については旧ブログ日記「木の机」に、富岡製糸については同じく「シルクハット」に書いたが、その高山社もまた世界遺産暫定リスト「絹産業遺産群」の中に含まれている。

市報で高山社に関する講演と見学会があることを知り、昨日と今日の2日間行ってきた。昨日は藤岡歴史館で松浦利隆氏(県新政策科世界遺産推進室長)の講演「高山社の創成期について」。今日はその創始者である高山長五郎の生家と、お隣埼玉県児玉町にある競進社の模範蚕室の建物(県指定重文)をマイクロバスで巡る小ツアーだった。

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下駄と足袋


アトリエでの野外作業のときは、おもに長靴。長時間のとき、また天気のいいときの農作業のときは地下足袋。そして、ちょっとぶらぶらするとき、土間や台所を行き来するとき、外や2階デッキでの読書や仕事中は下駄。だから、実は下駄を履いている時間がかなり長い。

この下駄というやつがイイ。以前から好きな履物だったが、アトリエに来てからというもの僕もYKも下駄ばっかり。履いているのは値段の安い桐下駄である。花尾が切れたら自分で直して、木が割れるまで履いている。

これに慣れてしまうと、つっかけやサンダルは頼りなくてダメ。親指の付け根で重心と踏ん張り・滑り止めのバランスをとる感覚がとても自然でいいのだ。むかし大工の棟梁は白足袋に雪駄履き、と聞いたことがある。

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薪使いの思考


火鉢に自家製の燠炭を使う


暖かい日が続いている。菜の花がもう開花し、ミツバチが動き始めている。おかげでこのところ、薪ストーブに火を入れていない。アトリエの薪ストーブ、通称「トラちゃん」が1階の部屋に入ったのが昨年の10/26。薪ストーブ特有の暖をずいぶん楽しませてもらったが、さすがに薪を大量消費するので毎日は使えない。よほど寒い日を除いては、火鉢と電気コタツで暖をとっている。

その火鉢に使う炭は、囲炉裏でできる燠(おき)炭である。囲炉裏で料理と食事を終えて和室に移るとき、小さなシャベルのようなもので燠火を火鉢に移動する。また、これを消し壷に入れて保存。壷が炭でいっぱいになったらスーパーの買い物袋にとっておく。それも使う。これは集落のおばあさんたちに教わったのだ。

囲炉裏で大きめの枝を燃やしていると、先端に真っ赤に燃える熾ができる。大きく成長した燠を火ばさみでコンと叩くと燠が落ちる。それを消し壷に入れて蓋をする。蓋をすれば火は消え、すでに入っている炭にも火はつかない(ただし、蓋を忘れたりすると、消し壷自身が火鉢となって大変なことになる)。「火消し壷」はいまホームセンターでも売っているが、蓋付きの料理鍋でも代用できる。底が焦げるので薪を2本渡してその上に鍋を載せればいい。

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