仮眠してから徹夜でイラストを仕上げる。データCDをヤマト便で発送し、その足で藤岡の歯医者へ相方を送る。ちょっと時間があったので、諏訪神社の「高山長五郎顕彰の碑」をみてきた。藤岡発、養蚕の父である。
待ち時間にMacのOSXの勉強をしようと教科書を持っていったのだが、待ち合い室にある『美味しんぼ』のマンガがおもしろくて読んでしまった。
高崎のシャンゴで食事をした後、群馬町の『日本絹の里』に行ってきた。ちょうど企画展で富岡製糸場の展示が見れた。展覧会の副題は「~世界遺産登録をめざして~」
数週間前、相方と富岡製糸場へ見学へ行ってきたばかり。この建築だけをとるなら、世界遺産にはちょっと難アリといったところだろう。しかし、日本の近代への幕開けとして、いや、西洋の産業革命を東洋が咀嚼発展させたというそのモニュメントとして意義は大きい。しかも、群馬は繊維王国であり、様々な遺構はまだ残っている。
しかし忘れてならないのは、この爆発的に発展した近代日本の養蚕は、欧州の裕福な貴族階級の衣類になったのであり、上州人の血のにじむような仕事はイギリスのシルクハットになりながら日本を富ませていた、ということである。
いま、上州の山村を見渡してみよ。養蚕が隆盛を極めた時代に建てられた、総2階、切り妻屋根の養蚕農家は、その後継者を失い、いま家を守るジイサン・バアサンたちの世代で、その家屋は朽ちる運命にある。かつての養蚕作業場だった2階のスペースは、そのほとんどが物置きと化している。
しかし、「養蚕」そして「絹」は美しいと思う。この布は、金と等価といわれ何万キロにもおよぶ交易の「シルクロード」をつくった。虫が紡ぐ繭から着物ができる、なんというロマンだろう! その関係性とエコロジーは、これからも輝き続けるはずである。
その本当の価値に気付いたとき、富岡は輝きを取り戻すことだろう。