八塩温泉、アニタ・オデイ


高崎個展の通路の壁を飾るオブジェのアイデアが生まれる。重厚な蔵の空間なので調和するものを置きたい。テーマは「古い町、山の水、なつかし物語」。僕にとって9回目の個展であり、群馬で始めてひらく個展である。もちろん、いつものように単なる売り画やクラフトだけを飾るつもりはない。

午後、相方は書の制作。僕は紙芝居制作。その後ライブの新曲を音合わせ。バラードのほうはOKだけどボサノバのほうがイメージ通りにいかなくて何度も練習。ギターの練習も大変である。左指が少々くたびれて鈍痛がおきてきた。

夕刻、鬼石へ降りて久しぶりに日帰り温泉へ。もう時間も遅いので、鬼石の八塩温泉へ。ここは古くから多野の名湯として知られる。なかでも「神水館」は名旅館で「秘湯を守る会」の会員宿でもあるが、僕らは「ヤシオカン」ヘ行ってみた。泉質は、ナトリウム・塩化物・炭酸水素塩泉だが、加水加温してあって塩素臭も若干ある。が、それもそのはず、入り口にある源泉のコックをひねり口の含んでみると強烈な塩辛さ。海水とほぼ同じである。

戦時中はこの源泉を使って塩を作っていたらしい。含まれた炭酸ガスを利用して作られた八塩煎餅が鬼石の町内でいまも作られている。多野地方にアオバト(海水を飲みに集まる奇習で知られる)が生息するのは、このような塩泉の存在も大きいのだろう。加水してあるとはいえ、さすがに効き目のある温泉だった。

押し入れの中からアニタ・オデイのCDを取り出して、行き帰りの車の中で相方に聴いてもらう。


ナルちゃん/Y先生の山村物語


このH集落界隈はオミナエシが群落をつくっている。それは集落のOさんが植えたもので、手入れをずっと一人でされていたのだが、そのOさんが病に倒れてH集落を離れてしまったのは昨年の春。オミナエシは草刈りなどの手入れをしないと他の草に埋もれてしまい、おそらく衰退していく。Y先生と「なんとかしたいですね」と僕らは相談していたのだが、今日の午前中にその作業をやることにした。朝8時過ぎから昼までみっちり。全部はやりきれなかったが、Oさんのオミナエシ分布の全体像がだいたいわかった。しかし、これを一人でこなしていたんだから、まったくOさんは凄い人であった。

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『麦秋』1951


今日は集会所の掃除。石垣に1m以上あるアオダイショウの抜け殻を発見! このような集まりでお年寄りたちから話を聴くのは大きな楽しみである。

午後から高崎へ。TSUTATYAで小津安二郎監督の映画『麦秋』のDVDを借りてアトリエに戻り、PowerBookG4で観る。新作紙芝居のヒントが得られるという直感があったのである。僕は映画はあまり好きではないが、古典にはさすがに良いものがある。

『麦秋』は1951年、僕が生まれる8年前に公開された映画である。小津の映画はそのカットがエドワード・ホッパーの静謐な絵画のように、構成的であり、美しい。さらに、その風物に、昭和のまだ高度成長期に入る前の、最後の残照的な美しさをみることができる。

北鎌倉、原節子、主人公が洋風ナイズされたキャラなんだけど、大和撫子的に、結婚を選ぶ。それが小津の強烈なメッセージなんだろうな。キャストそれぞれが、抑制の効いた、それでいて輝く演技である。麦をキーに、さりげない暗喩が、しんしんと心に染みてくるのである。

で、何を学んだかというと「自分の信じたことをやればいい」ということである。

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キャベ餃子


相方と歌合わせ。ギターの練習をしているうちにボサノバのベースラインがずれてしまっていることに気付く。ボサノバギターは右手親指のベースを正確に等間隔で刻まねばならない。難しいなぁしかも弾き語りするとさらに難しくなる。相方に注文つけておきながらこれではイカン。必死に修正練習2時間。

自家製キャベツとミツバを入れて餃子をつくる。冷やご飯をおかゆにしてのせて食べる。東南アジア風だね。これもウマイねぇっ。食後は友人に貰ったハスの花入りの茶。これも合うね♪

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神流川なつかし物語


明け方に起き出して、前夜にできた曲の仕上げ。一気に4番まで詩を書く。いい曲ができた。相方の声にぴったりのマイナー調のバラードだ。さっそく相方に歌ってもらい、若干の修正を加える。

相方は音感・耳がいいので新曲をすぐに覚えてくれる。が、前曲のボサノバは苦戦している。歌いかたの雰囲気は出てきたけど、8ビートのポップスや演歌にいちど染まってしまった人が、ジャズやボサノバの「ノリ」を体得するのは並大抵ではない。これらのビート感覚は、頭で理解してやろうとしてもダメなのだ。スィングしないのである。

微妙なシンコペーション、アクセントのズレやひねり、これは音符では現せない。与えられたものを消化する、という感覚ではダメで、自分から自然にわき上がってくるものが大事なのだ。とにかく聞いてもらって、体得してもらうしかない。
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