このH集落界隈はオミナエシが群落をつくっている。それは集落のOさんが植えたもので、手入れをずっと一人でされていたのだが、そのOさんが病に倒れてH集落を離れてしまったのは昨年の春。オミナエシは草刈りなどの手入れをしないと他の草に埋もれてしまい、おそらく衰退していく。Y先生と「なんとかしたいですね」と僕らは相談していたのだが、今日の午前中にその作業をやることにした。朝8時過ぎから昼までみっちり。全部はやりきれなかったが、Oさんのオミナエシ分布の全体像がだいたいわかった。しかし、これを一人でこなしていたんだから、まったくOさんは凄い人であった。
Y先生は、かつてこのOさんのボランティア活動によるオミナエシ・プロジェクトを行政が支援するように、鬼石町に打診したことがあるそうだが、却下されたそうだ。そのくせ「オミナエシ街道」などと名前をつけて、パンフレットに書いたりしている行政ってなんだかずるいよな。そして、いまこのオミナエシ街道が危機に直面していることに関して、どこからも何の動きもないのだ。秋の開花時には一面に咲く黄色い花を、町からやってきて写真に撮りに来る人が何人かいたものである。ぼくらSHIZUKUのジャケットに使っている写真は、そのとき写真を撮っていたナゾのおじさんにデジカメを渡して撮ってもらったものだ。
それにしても、Y先生は84歳。午前中いっぱい、僕らとほとんど同じペースで草刈りカマを振るった。これまたアッパレであった。作業の休憩時に、Y先生の昔話を聴くのがまた面白いのだ。先生は、さすがにお年なのか前に話た同じ話しを繰り返しされることがあるが、今日はまた新しい話を聴いた。
「僕が上野村で教師をしていたとき、ナルちゃんて勉強のできない子がいてね、でもお父さんが杣大工で、ナルちゃんは見よう見まねで大工道具が扱えるようになってしまった。勉強はできなかったが、1年生のときからカンナが使えてねぇ、『教室の壊れたところを直してよって』言うと本当に器用に直してしまう。で、やや大きくなって、本人はやっぱり大工になりたい、という。だが周りは『大工だって頭が悪けりゃできないんだから』って反対したんだが、僕が栃木の上尾の親方を紹介して弟子入りさせたんだ」
「そして ナルちゃんは熱心に修業し、1年で2年先に入った兄弟子を技術的に抜いてしまった。あまりにもナルちゃんが巧いので、やがて兄弟子はそこを辞めてしまったそうだ。そして、親方の娘さんをもらって養子に入った。あるとき、ナルちゃんから僕に電話が来てね。『先生、いま役場にいるんだが、子供ができたので先生に名前をつけてほしい』って言うんだよ。まいったねぇ。わかった、10分ばかり考えさせろって言って、考えたけれども・・・」
「そのナルちゃんだが、とにかく腕のいい大工でね、親方じゃなくナルちゃんに仕事が来てしまう。自分の家は解体現場の廃材を集めてまたすばらしいものを造ってね、ナルちゃんは毎年ここまで(H集落の先生宅)遊びに来るんだが、車でつれていってもらったことがある」
というわけで、「先生! 今度、僕らにナルちゃんを紹介してください!」ってことになったわけですな(笑)。
「雫」って発泡酒が出ましたねぇ。さっそく試飲しましたです。
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