朝、三富村の笛吹川を遡る。笛吹川源流の西沢渓谷は中部山岳有数の美渓として名高い。エメラルドグリーンの淵の連続する「七つ釜五段の滝」の写真は山岳雑誌などで何度みたことか知れないが、僕はまだ実際に行ったことはなかった。小雨も降り出す天気。コースは全長10km、うち半分は滑りやすい沢沿いの登山道。気軽なハイキングとはいかない。相方と相談するが、ぜひ見ておきたいというので、車止めから林道に入って歩き始める。
月: 2006年5月
囲炉裏やきそば/富士宮風
明るいうちにアトリエに到着したので囲炉裏に鉄板をかけて焼きそばを作った。実は先日の増穂の肉屋「ミート高橋」で、「揚げカス」と名付けられた奇妙な物体を見てしまったのだ。ひょっとっして、これが富士宮焼きそばで使う「肉カス」ではあるまいか? 店員のおばさんに聞くとその通り。同じ棚には「イワシ粉」まで売っていた。肉カスとは、豚の背脂からラードを採った残りである。この店の揚げ物が香ばしく美味しいのは、自家製ラードで揚げているからなのだ。
明治天皇と山梨の山林
甲府はむかし南アルプス登山で何度か訪れたことがあるが、市内をゆっくり観たことがない。市内に車を停めて甲府城跡「舞鶴城公園」を歩いた。古い石垣に新たな石垣が混在したかなり立派な公園になっている。頂上あたりにミナレットのような石柱が建っている。
その正体を確かめようと、とりあえずそこまで登ってみた。「謝恩碑」という説明書きがあり、碑文の現代語訳が銅板に書かれている。山梨は天皇家から譲り受けた山林があって、それゆえ公有林が多い(自然塾の町有林もそのひとつ)ということは聞いていた。それが、頭の片隅にずっとあった。その理由がここに書かれていた。すなわち・・・
山梨は高い山々に囲まれ多くの川が集まる地形であるが、地形がもろく昔から水害におびやかされていた。無計画な伐採や、火入れが原因であったという。度重なる災害を目の当たりにし、当時の明治天皇が御料地を山梨県に与えることにした。
その顕彰と感謝のための石碑なのであった。陛下は
「以後、山林をよく手入れして国土を守るように」
とおおせになった。大正8年3月の碑文である。僕らはここに導かれたようた気がした。そこから甲府の町が見渡せた。ちょうど夕日が山の端に落ちかかるところだった。
アーケード街を散策し、喫茶店で休みながら相方と今回のイベントの感想を語りあった。今日は車中泊で、明日は笛吹川上流の西沢渓谷を散策する予定だ。フルーツ公園という夜景のすばらしいおあつらえ向きの駐車場をみつけた。夕食はコテージで炊いたご飯のおにぎり。缶ビールと増穂の地酒「春鶯囀(しゅんのうてん)」で夜景を観ながら乾杯。デザートは「くろ玉」。青豆の餡が入った素敵な甲斐の銘菓である。
2日目、間伐講習
早朝、コテージのベランダから見える富士山を期待していたのだが、もやに隠れている。増穂町から見る富士は絶景で、真東に位置するためにちょうど山頂から日輪が出始める「ダイヤモンド富士」が見られることで有名だ。スライドをチェックしつつ、鰹節粉を練り込んだ持参の味噌で味噌汁をつくり、前夜の残りミート高橋の「ちびカツ」でソースカツ丼風を作って朝食。しかし、電気釜で炊いたご飯は「力(ちから)がない」とは相方の弁。僕も「不味い・・・」と思わず口にしてしまったぞ。電磁調理器は初体験なので写真を撮ったりした。意外にお湯の沸きが早いが、これじゃ中華鍋や丸底鍋が使えないよな。