早朝、コテージのベランダから見える富士山を期待していたのだが、もやに隠れている。増穂町から見る富士は絶景で、真東に位置するためにちょうど山頂から日輪が出始める「ダイヤモンド富士」が見られることで有名だ。スライドをチェックしつつ、鰹節粉を練り込んだ持参の味噌で味噌汁をつくり、前夜の残りミート高橋の「ちびカツ」でソースカツ丼風を作って朝食。しかし、電気釜で炊いたご飯は「力(ちから)がない」とは相方の弁。僕も「不味い・・・」と思わず口にしてしまったぞ。電磁調理器は初体験なので写真を撮ったりした。意外にお湯の沸きが早いが、これじゃ中華鍋や丸底鍋が使えないよな。
9:30集合で10:30から午前中は講義。午後は3時まで敷地内のヒノキ林で選木・伐倒の講習をする。学生さんたちの他に一般参加者が3人。前日の第一部のスライドをもう一度おさらいした後で、鋸谷さんとの共著『図解 これならできる山づくり』からのイラストを用いて選木の要諦を解説。しかし、やっぱり「限界成立本数」「胸高断面積合計」の話はすんなり伝えるのは難しい。書籍を持っていない人に、講演の中で、その時間内に理解してもらうには、新たな図説を用意する必用があると思った。反省だ。
講義の最後は質問コーナー。間伐の他にも新たな造林についての知識はたくさんあるのだが、とても1時間程度の講義では伝えられないのが残念だ。美味しい山菜弁当をいただいた後、裏山での間伐講習に入る。そのヒノキ林は限界成立本数を越えている典型的な線香林で、林内にはすでに枯死した木が立っている。班分けし、各班に釣り竿と選木テープが渡ったところで、まずは枯死木を伐る作業をやってもらう。その後、樹高を皆で釣り竿などを使って目測で測ってみる。そして1本倒して実測する。
ここで皆の前で伐ってもらうのは相方を指名。僕はロープをかけて倒す方向へ引っ張っておく。が、線香林だから掛かり木は必至。まあ、先に掛かり木の処理を見せておくのもいいと思ったのである。実測後、形状比を出し、形状比70での胸高直径を算定し、各班で選木にかかる。その後、枝打ち講義を経て、伐倒にかかる。今回はチェーンソーは使わないのでそれほど危険も感じず、無事予定時間に終了した。
植えてから約40年、一度も間伐をしていないその林は、限界成立本数を越えているとはいえ成長が良いものが多く、漏死病もほとんど見られない。ヒノキの適地なのかもしれなかった。しかし、ほとんどすべての木が、かなり高い位置まで枝を枯れ上がらせている。鋸谷式間伐の本数にてらせばびっくりするほどの本数を伐ることになるのだけど、数十年後この森が伊勢神宮の宮域林のような神々しい森に復活するのが楽しみである。
学生たちはここで今後も実習を続けることになる。「荒廃林とはいえ、ここまで成長するまでに、先人の手入れを経ていることを忘れずに、十分吟味して選木し、そして心して伐りましょう」と最後に付け加えた。記念写真をとって解散。それでも質問が止まず、帰る間際まで学生たちとの質疑応答は続いた。こうして2日間の講演・紙芝居ライブ&講習会は終わった。
駐車場を出て、僕らは神社の下にある水場でペットボトルに水を汲んでいった。地元のおじさんが話しかけてきた。長く東京で働いていたのだけど、ここに戻って今はマスの養殖をしているんだそうだ。「水はうまいし、やっぱり自分の生まれたところがいちばんいいよ」とおじさんは笑って言う。その下にはかつて画家の池田満寿夫が陶作に通っていたというのぼり窯があり、今も使われている。春霞みで富士山は見えなかったが、天気は良くドライブ日和だった。