前橋市役所で観光パンフレットを入手し、まだ見ていない建築行脚をする。群馬県庁昭和庁舎、群馬会館、臨江閣、など。昭和庁舎では近代美術館のコレクションが入場料100円で観れた。モローの小品、フジタの油彩、そしてピカソの1枚に足が釘付けになってしまった。キュビズム時代の代表作「三人の音楽家」に通ずる圧倒的な構成力、抑制の効いた選び抜かれた色彩、下塗りをかすかに見せる大胆な筆致。残るだけのことはある。腐ってもピカソ・・・か。
カテゴリー: 建築行脚
さざえ堂、E、ガビチョウ
太田へ行き、金山の裾にある曹源寺の「さざえ堂」を観たり、大光院に立ち寄ったりしてきた。その後、JとEという超大型・郊外店をハシゴ。19日のブログに書いた「電気を使う郊外店」という視点からみれば、両店舗ともとてつもない電気食いである。日曜日ということで、広大な駐車場もびっしりと埋まっていてる。実際にみたことはないけど、アメリカのロサンジェルスのような光景といったらいいだろうか。
戦争とガラスの建築
午前中はブログの更新。ちょうど1年で規定の50MBを使い切ってしまった。新たにNo.2を立ち上げる(このブログのことです)。いま、ホームページも刷新しようと手を出し始めている。夕刻、Y先生の鬼石町での講演におつきあいする。戦争体験を話される講演を町議の方々が主催したのだった。
鎌倉の義経、ブリジストンの雪舟
朝、江ノ島に立ち寄ってから、義経ゆかりの寺「満福寺」を拝観する。義経は兵法の天才で、平家滅亡の決定打をうったわけなのだが、その行動力と権力に対する作法が兄頼朝の逆鱗に触れ、鎌倉入りを許されず、平泉に逃れ討たれる。ここ満福寺は、鎌倉入りを拒まれた義経が逗留して、頼朝へ理解を求める切々とした手紙を書いた場所だそうだ(寺が相模国腰越にあったので手紙は「腰越状」と呼ばれる)。この場所から義経の人生が暗転し、逃避行が始まったのだ。
山梨~神奈川へ
翌朝、再び現地でイベントの進行などの打ち合わせ。その後、役場で担当の課長さんや町長さんと会見。町の重鎮たちもまた、山の荒廃に憂え、頭を痛めている様子が伝わってくる。が、僕のような若輩が、頭ごなしに強度間伐をまくしたてたら彼らはついて来るまい。話し方とアプローチは明確に慎重にしなければ。