サンショウとゼンマイ


私たちが借りている敷地の竹林のタコノコは今年は大豊作で、結局50本は掘ったのではないだろうか。もちろん近所や関係者に配りまくったわけだが、田舎の人は律儀なので様々な「お返し」がやってくる。

サンショウの佃煮もその一つ。桐生の人はこのサンショウが大好きだ、ということを発見した。摘み取りからけっこう手間がかかるはず。刺激的な香りがたまらない。

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倒れたスギ/集落支援員in椹森(9)


朝方雨が降っていたが出発する頃には上がる。神流湖は満水であった。ここのところ水の色が変だ。アオコが吹いたような緑色なのである。アオコは窒素やリンの過剰で発生する。生活排水や農薬や肥料が高濃度で入り込んでいるのではあるまいか? なにしろここまで緑色の神流湖をこれまで見たことがない。

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対岸の新緑がきれいだ。

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山菜いま昔/集落支援員in持倉(12)


採った山菜を整理して、着替えて再び車に乗り込んで集落支援員活動に出発。まずは神流町役場へご挨拶。役場前には鯉のぼりが上がっていた。神流川の河原では毎年連休ににぎわう「鯉のぼり祭り」の準備が進められていた。

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養蚕の時代/集落支援員in持倉(11)


新年度、第一回目の支援員活動。旧アトリエを引き払ったのでこれからは日帰りもしくは宿を取っての仕事になる。それもいい情報収集と勉強になろう。

午後1時半頃、持倉到着。驚いたことに木々に雪が張り付いている。この日はMさんから養蚕の話しなどを聞いた。

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ここでは糸まゆでなく種まゆを主に育てた。種まゆとは、さなぎを生かして羽化させ、次の養蚕のための卵を生ませるもので、前橋の会社から細かい指導を受けてやっていた。当時は週に1回は会社の先生が来ていた。カイコは昭和33年から始めて62年頃までやったが、最後の10年くらいは種まゆ専門だった。

糸まゆは2みんから初めて40グラムを共同飼育するが、種まゆは体長1cmにも満たないふ化したばかりの幼虫から育てる。最初のエサは芽出したばかりの柔らかいクワの葉を細かく刻んで与える。

カイコは夏場の仕事で、6月と8月と2回育てることができる。飼育を始める前とまゆを出荷した後、年に2~3回は消毒する。

出荷されたまゆは会社ではさみでまゆの先端を切って生きたさなぎを取り出し、雄と雌に分け、それを羽化させ、交尾させて卵を生ませる。そのまゆ殻も生糸として使われていた。

8月は暖かいのでいいが6月からの飼育は寒いのでストーブを焚く。むかしは2階の囲炉裏で火を焚いていたが、道ができて石油が運べるようになると(ドラム缶で購入していた)、石油の専用ストーブを使った。じょうぞく(まゆ化)してからもストーブは焚く。ホースがついて温風が出る専用のストーブがあった。

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集落支援員の4日間と、旧アトリエごみの片付け


集落支援員で神流町へ。3月いっぱいでこの仕事は終わる予定であったが、県と町からの要望でもう一年継続してやることになった。頑張らねば。

持倉へ。

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