山菜いま昔/集落支援員in持倉(12)


採った山菜を整理して、着替えて再び車に乗り込んで集落支援員活動に出発。まずは神流町役場へご挨拶。役場前には鯉のぼりが上がっていた。神流川の河原では毎年連休ににぎわう「鯉のぼり祭り」の準備が進められていた。

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全国から集められた鯉のぼり。1架線におよそ100匹。最近では周辺環境の問題から鯉のぼりを上げれる家も少なくなり、この祭りに新品を寄贈してお祝いとする人もいるとか。

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役場の方に伊藤勸さんの自費出版『神流の山の花めぐり』をいただいた。伊藤さんは教師生活のかたわらアマチュア写真家として御荷鉾山系の花を撮り続けた。その集大成である。上毛新聞で紹介されて知っていたが入手できて嬉しい。

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持倉は小雨が降り、霧が出ていた。話しを聞くにはこんな日のほうがかえって好都合なのだ。今の季節、天気がよければ畑仕事に出てしまうから。

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この日は2件まわり、山菜のことや昔の苦労話などを聞いた。

「炭焼きやっていた頃は、たらの芽なんか採りきれないほどあったなぁ」とSさんは言った。
タラノキは雑木が伐採されて明るくなると自然に生えてくるパイオニアツリーの代表各だ。タネは地中でずいぶん保つらしい。このごろは皆伐地が少なくなった(森が暗くなった)のでタラは少ない。それに道路ができてからは他所の人が先に来て採ってしまう。油が貴重だったむかしは天ぷらができないので「よごし」(和え物)で食べた。クルミやゴマ、エゴマも使った。こそっぱい(口当たりがよくない)ので、Sさんはウドのほうが好きだったそうだ。

ウドは沢沿いだけでなくどこでも生える(持倉は水脈に恵まれた場所なので)。ラタは4~5年もすると枯れてしまうが、ウドもそう(タラよりはやや長生き)。細い芽が続々と出てくるようになると終わりだそう。

「たまには昔の話もいいもんだね」とEさんの奥さんは語った。

81歳。嫁いで来たときは車の道が無かったから花嫁衣装で坂道を登ってきた。恋愛でも見合いでもなく、親同士が決めた結婚だった。当時は持倉に電気が来ていなかったのでイヤだと言ったが、電気をつけるという条件で結婚に踏み切った。自家発電で電気を起こしたそうだ。Eさんの母親は99歳で健在だ。冬は町に下りるが5月に持倉に上がってくる。7月で100歳になる(明治44年生まれ)。

葉ワサビをいただいた。Eさんの奥さんの作り方は、熱湯をかけたままその湯に湿らせて保存するというもので、それを食べるとき取り出して切り、醤油をかける。こうすると食感はかなり柔らかく、辛みも残っている。椎茸のお土産までいただいてしまった。

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今日の泊まりは神流湖畔の「やどや」だ。ここは鬼石町時代には「自然活用管理センター」として町が運営していたが、現在は建物を借り受けた個人が経営している。私にとっては鋸谷式間伐のイベントをしたことがある懐かしい宿だ。しかし、薪ストーブが入ったりして、宿はセンス良く、素敵に生まれ変わっていた。

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夕食に、持ち込んだ今朝採りのタラノメを揚げてもらった。美味!パワフルだ!

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なかなか入手できない鬼石の地酒「鬼面山(きめんざん)」。香り良くすっきりと美味い酒だ。

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〆は手打ち蕎麦だった。この他にも湯葉刺し、アユ一夜干しなど、とても7000円代の宿とは思えぬ料理に手の込んだメニューだった。

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部屋に戻ってパソコンに向かおうと思ったが、早朝の山歩きと鬼面山が効いたのか、布団に倒れ込むように爆睡(笑)。


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