山菜いま昔/集落支援員in持倉(12)


採った山菜を整理して、着替えて再び車に乗り込んで集落支援員活動に出発。まずは神流町役場へご挨拶。役場前には鯉のぼりが上がっていた。神流川の河原では毎年連休ににぎわう「鯉のぼり祭り」の準備が進められていた。

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養蚕の時代/集落支援員in持倉(11)


新年度、第一回目の支援員活動。旧アトリエを引き払ったのでこれからは日帰りもしくは宿を取っての仕事になる。それもいい情報収集と勉強になろう。

午後1時半頃、持倉到着。驚いたことに木々に雪が張り付いている。この日はMさんから養蚕の話しなどを聞いた。

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ここでは糸まゆでなく種まゆを主に育てた。種まゆとは、さなぎを生かして羽化させ、次の養蚕のための卵を生ませるもので、前橋の会社から細かい指導を受けてやっていた。当時は週に1回は会社の先生が来ていた。カイコは昭和33年から始めて62年頃までやったが、最後の10年くらいは種まゆ専門だった。

糸まゆは2みんから初めて40グラムを共同飼育するが、種まゆは体長1cmにも満たないふ化したばかりの幼虫から育てる。最初のエサは芽出したばかりの柔らかいクワの葉を細かく刻んで与える。

カイコは夏場の仕事で、6月と8月と2回育てることができる。飼育を始める前とまゆを出荷した後、年に2~3回は消毒する。

出荷されたまゆは会社ではさみでまゆの先端を切って生きたさなぎを取り出し、雄と雌に分け、それを羽化させ、交尾させて卵を生ませる。そのまゆ殻も生糸として使われていた。

8月は暖かいのでいいが6月からの飼育は寒いのでストーブを焚く。むかしは2階の囲炉裏で火を焚いていたが、道ができて石油が運べるようになると(ドラム缶で購入していた)、石油の専用ストーブを使った。じょうぞく(まゆ化)してからもストーブは焚く。ホースがついて温風が出る専用のストーブがあった。

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集落支援員の4日間と、旧アトリエごみの片付け


集落支援員で神流町へ。3月いっぱいでこの仕事は終わる予定であったが、県と町からの要望でもう一年継続してやることになった。頑張らねば。

持倉へ。

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コサインゲンの甘煮/集落支援員in持倉(10)


持倉区長さんの葬儀から9日後、持倉を訪ねた。

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奥様もだいぶ落ち着かれたとのことだが、風邪をひいてしまったという。辞そうかと思ったが「さあ、上がってください」と強く勧めるのでお邪魔することに。

葬儀のときの様子などをお話くださった。ダイコンのお漬け物、コサインゲンの甘煮をいただきながら。

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神流マウンテン当日/集落支援員in持倉(6)


いよいよ「神流マウンテンラン&ウォーク」の朝。心配された天気は、雨上がりの快晴を約束するかのような、澄み切った星空が輝いている。夜明けとともに出発。

私たちは7時のスタートを取材した後、持倉集落に上がって、ソバ作りの手伝いや、中継点のサポート、写真撮影などをしようと思っている。

開会式は鯉のぼり正面の広場で。

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