個人邸のお庭再生、その3


昨年の5月から始まった高松市勅使のYさん宅のお庭再生、これまでの経過。

個人邸のお庭再生、その1(2023年5月2日)

個人邸のお庭再生、その2(2023年6月5日)

前回は昨年の6/5だったので1年間ごぶさたしたことになる。Yさんは大阪在住で、ここがご実家なのであるが、現在空き家のこの家の庭の手入れに難儀されていた。途中、Yさんは10月に帰宅され、風の草刈りを自分たちでされたそうだ。

そのときの感想をYさんがメッセンジャーに書いてくれた。了解を得ているので以下それを転載する。

我が家の庭ですが、昨年真夏に帰れず10月にドキドキしながら帰りました。

門の周りはそこそこ高い草が生えていたのですが、その先の景色にビックリいたしました。
これまでなら高くなった草がぼうぼうに生えているのに、それほど高くなってませんでした。教えていただいた通りに出来たかどうかは疑問ですが、自分なりに風の草刈りもして、焚き火もしました。とても作業が楽で、予定より早く終わって、風の草刈りの凄さを体感しました。

ザクロも美味しそうな実がたくさん出来ていました。手で届く範囲の熟れてきた実を摘んで楽しませてもらいました。

かなり枯れかけていた金柑の木も復活し始めていました。

きちんと知って管理してあげると、お世話する方は楽で、植物達は元気になり、とても嬉しいです😊

というわけで今年は5月の連休に依頼が来たのだが、ここは群馬〜秋田の遠征があったのでできなかった。そして6月、本日3回目の作業。

そして、門を開いたとたん僕もまた驚いた。草丈が低く、庭全体が確実に穏やかになっている。シンボルツリーのマツとザクロが蘇り、いい風が通っていた。前回はヤブ蚊が多かったがそれが激減している。

ザクロが花を咲かせていた。

点穴を掘るYさん。

翌日、感想を送ってくださったのでそれも転載しよう。

大内さま

昨日はお庭を整えて下さって、ありがとうございました😭
今朝もとても心地良くて、ずっとお庭を眺めていたかったです。名残惜しく家を出ました。

久しぶりにお庭の様子を見ていただけて安心しました。大内さんに昨年2回ほど作業していただいただけで、1年間のケアがとても楽でした。大きく崩れることなくキープできる事がとてもありがたいです。
今回は点穴も教えていただいて、また一つ自分でもできる事が増えました。
北側のゴチャゴチャした木も切っていただけて、とてもスッキリしました。
姉が朝北側の雨戸を開けたらとても気持ち良かったと言ってました。私も母が元気だった頃の庭に戻っていくようで、とても嬉しいです。

それにしても、大内さんの作業がとても早くてビックリしました。
おやつ休憩のあと、裏の木を切りましょうか、松も風通しをよくしましょうか…とおっしゃって下さった時「もう夕方近くだし、そんなに出来るのかしら、遅くまでかかってしまうのでは…」と内心思ってましたが、あっという間に、しかもキチンと枝払いをして分けて置いて下さっていておっしゃった作業の全てを完了して下さって、ビックリしてしまいました。

いつも大きなワークショップをされてると思いますが、うちのような小さな所も面倒を見て下さって、とてもありがたいです。

7月はとても暑い時期になりますが、出来ることはありますか?(今度は本当に私と姉だけで、バスで帰ることになるかもしれません。)
そんな状況でもよろしければ、大内さんのスケジュールを教えていただければと思います。
よろしくお願いいたします。

今回もたくさん整えて下さって、気持ち良い場にして下さって、ありがとうございました。

これまでいくつか庭の再生と自邸の庭をこなしてきて、僕なりに到達したやり方と感想を書いておく。

・石を見せる(石のキワは短く刈る)
・木の下枝を切る、木の根元の草は短く刈る
・「風の草刈り」は風の通り道(地際刈り)の部分をバランスよく配置
・その両側はかまぼこ状に、その出口はラッパ状に広げる
・伐採枝や、過剰な刈り草は別の場所にまとめて(高積みで)置く
・剪定は横枝を切り直枝を残す(道法式)
・そして空間のセンスが大事、庭は造形作品である

▼これは僕の過去のブログ記事から。

前々から疑問に思っていたのは、庭を純粋な空間芸術と考えるとき、樹木が育ってしまったらどうなるのか? ということだ。作庭のときは凄い神経を使っていても、何十年も経ったら木がでかくなってバランスが崩れる。

作庭家が死んだら後続の庭師が管理することになるのだが、その庭師のセンス次第でどうにでもなってしまう。だから近代の作庭師、しかもきちんと古典の庭を研究している重森の庭を見たいと思っていたのだ。(2012年1月14日

重森三玲の改修による庭は京都では東福寺が有名だが、大徳寺の瑞峯院も見に行ったことがある(2019年4月15日)。あと香川には志度寺の石庭と増井家の庭。いずれも過剰にやり過ぎの感があるが・・・。

しかし日本の庭や建築に多大な影響を受けたカルロ・スカルパの作品にそれを感じないのは何故なんだろう? 今年現地(イタリア)に行って確かめたいと思っている。


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