庭の焚き火に回帰する


今をさかのぼること18年前(2004年の9月)、群馬の山で薪火を使う古民家暮らしを始めた。東京では小さな庭先で焚き火をしたり、家の中で火鉢をやった程度だったので、山に引っ越してすぐにマッキー君(鋳物カマド改良型薪ストーブ)を使い始めたときは感動モノだったし、翌年囲炉裏を発見しそれを再生した体験は、今の高松生活にも尾を引いて影響を与えており、ブログや書籍に書いてきた通りである。

長くイラスト修行しながら家族と過ごした東京時代には、やがて森林ボランティアに出会って山のある西多摩に引っ越し、そのベクトルからも薪火の志向を高めていくのだが、当時の日記を読むとその頃から「火に対する思い」はなかなかであったことがわかる。新しい読者はこんな東京時代があったことはまったく知らないだろうから、昔の日記(タイトル「焚き火」’00.11.12)をここに再録してみる。

 日の出町に引っ越して、1年2ヶ月が過ぎた。長らく都会のアパート暮らしが続いていたものだから、庭のある暮らしというのが嬉しくてしょうがないのだった。こんな小さな空間でも、ここに花を植えたり、庭先で思いっきり物づくりできるのが、本当に嬉しいね。これは最初から田舎に住んでいる人には分らないだろうな。
 庭で焚き火ができる暮らし、というのがずっと夢だったので、引っ越して早速やりましたね、焚き火を。家の片側は新興住宅地につながっているので、端っこの方でひっそりとね。河原でせっせと流木拾っては、子供たちと火を囲む。秋は焚き火のベストシーズンだ。
 今日は学芸会の振り替え休日で下の娘2人が休みだったので
「じゃ、庭で火を焚いて銀杏でも焼く?」
「ヤッタ-、やく!やく!やく!」
と午前中は子供たちの相手をしていた。
 わが家の焚き火台はなかなかの傑作である。ハルコが河原で拾ってきたアルマイトの鍋に、釘で空気穴を空けて、それをコンクリートの試強体ブロック3個の上に載せて火を燃やすのだ。これだと庭も汚れないし、高さも火の規模も、子供たちと庭先で気軽にやるのにちょうどいい。後片付けも簡単で安全だ。
 うちでは子供にもどんどん火の扱いを手伝わせる。紙屑や段ボールから始まって、小さな薪を燃やす。薪は河原で拾ったり、山に入ったとき間伐材や枝をもらってストックしてある。これで気が向いたとき、庭先で彫刻やクラフトもする。すると子供たちが「あたしもやりたーい」といって工作大会が勝手に始まる。コンピュータゲームなんかいらないのだ。
 昨年から食べ続けたオニグルミの殻も、このときのために捨てずに取ってある。クルミの殻は油があってよく燃える。そして、程よくおき火になったところで網をのせ、銀杏を焼きにかかる。
 薪や炭で焼いた採れたての銀杏はすばらしく美味しい。ご飯も薪で焚くと美味しいのは、気のせいでもなんでもない。熱の「質」がちがうからだ。熱も結局は波動だから、遠赤外線を出す薪・炭がダントツに物を美味しくする。次に良いのはガス。がくっと落ちて電気。いちばんよくないのは電子レンジ。
 シルクロード長寿郷と呼ばれるグルジアの100歳長寿郷の調査文献を読んだことがある。彼等の主食はナン、ムチャ-ルディと呼ばれる、小麦粉を塩水で練って延ばし、カマドの内側に貼りつけて焼いたもの。彼等は作物の採れない冬の間中、このナンとチャ-(お茶)だけで過ごす。あとは間食のナッツやドライフルーツくらい。ただし、小麦は直前に石臼で粗挽きした全粒粉を、しかも粘土で作った昔ながらのカマドで薪を使って焼く、という手間をかける。また塩は、このあたりで採れる岩塩を使う。水は、谷川の清冽な水。ラジオニクス器機で氣能値を調べたところ、そのナンは機械の測定限界を超えてしまうほどパワーのある食べ物だったという。どうです?「1日30品目」などとのたまいながらジャンクフードグルメして、子供まで成人病してる日本とえらい違いじゃないですか!
 焚き火、カマド、火鉢、囲炉裏、薪ストーブ……、日常に薪・炭と火のある生活を取り戻したいと思っている。日の出に越してから、うちでは火鉢を始めた。換気には注意がいるけど、家の中に火があるというのは、なにか中心ができたみたいで、ある種の心地よい緊張が生まれて、いいものだ。山尾三省の『火を焚きなさい』という詩に「人間は 火を焚く動物だった だから 火を焚くことができれば それでもう人間なんだ」という一節があるが、火は子供たちのあらゆる感覚を養うのに、最高の教材の一つでもあるだろう。
 子供たちは焚き火も楽しみ、銀杏も食べて、大満足で友達の家に遊びに飛び出していった。(「未来樹2001と大内正伸のホームページ/日の出日記」)

これ、22年前に書いた文章なんですけど、今とぜんぜん変わってないですね(笑)。

さて、群馬の山暮らしで囲炉裏を発見し実践していたという状況のなかで、一方で僕には建築というものが並行してずっとくすぶっていて、東京時代に購入した『ル・コルビュジエ 建築・家具・人間・旅の全記録』(株エクスナレッジ/2002,7)を山にまで持ってきていたし、レーモンドの建築を見に行ったりもしていた。

ふつう山暮らしを始めるような人間は、DIYから入って薪火にはまって、やがてセルフビルドの家づくり・・・というような流れになっていくのであるが、僕の根底にはいつもその流れに抗(あらが)うような、「アートとしての建築」という指向があった。

山暮らし時代にすでに読んでいた『ルイス・カーンの全住宅1940-1974』齋藤裕/TOTO出版)を数日前高松の図書館で借りた。いま他所に囲炉裏暖炉を作る設計施工に関わっていることもあり、カーンの暖炉をもういちど見たいと思ったからである。ライトの暖炉好きも有名で、山暮らしのときときそれにまつわるエッセイを書いたが、カーンもまた家づくりに暖炉を強く意識していたようである。

2005.12.14「ウィンドウで完成する」
2006.12.13「フランク・ロイド・ライトの暖炉」

僕が描いているのはドカンとした薪ストーブや暖炉で薪をバンバン使うものではなくて、昔の囲炉裏の延長のような、小さな火から最大の効果を発揮するような使い方である。薪を使うためだけに生きた広葉樹を伐採するというようなやり方でなく、林内の枯れ枝や枯れ木を集め、あるいは敷地の剪定枝を囲炉裏に使うというような、昔の日本人なら(それこそ縄文時代から)ずっと普通にやってきたであろう暮らしぶりである。

設計者に火使いの感性や山の知識がないと、いい薪火空間はできないと思うし、一方で暖房機能だけを突き詰めて一年中薪あさりに追われるセルフビルドおたくにはなりたくない。薪火に関してはいろいろ見聞きもし、自分でもあらゆることをい体験してきたけれども、僕がいつでも思い出し回帰していくのは、前出の庭先での小さな薪火の体験である。

昭和の古民家をつつましく改装し、洗練された美しさを創造しながら、周囲の自然と直結した薪火を取り戻す。老若男女を問わず、意識の高い人たちの中に、いまその需要がすごく高まっていると思う。

そんな手伝いをするのが僕の人生後半の使命なのかもしれないな。


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