ウィンドウで完成する


middle_1134563644建物ネタを続けよう。しかし、現在の日本の住宅建物はなんと酷いシロモノになってしまったのだろうか。建築の本をたて続けに読んでいる。まずは『ルイス・カーンの全住宅1940-1974』著・写真:齋藤裕(TOTO出版)。囲炉裏端でルイス・カーンもないもんだが、この人のシンプルな空間と自然素材、そして光へのこだわりは好きである。しかし軒のほとんどない四角いボックスの家の壁に、板壁とは・・・。ま、学ぶべきところはある。大きな全面ガラス窓をはめ殺しにし、サイドに小さな木の扉をつけて大きな採光と開放空間と美しさとを両立させているところなど。カーンはメキシコの建築家バラガンの自邸に大きな影響を受けていたみたいだ。うん、それはよくわかる。


住宅というものは、機能的、住んで快適なことが重要だけれども、それだけでは絶対にダメなのだ。自然との調和、もちろんそれも必要だ。しかし、ここでずっと暮らすことになるなら、やはり内部空間に美がなければならない。そのために最も重要なエッセンスは、開口部の光だ。「窓(ウインドウ)ですべては完成する」「窓は部屋になることを望んでいる」というカーンの言葉はきわめて示唆的である。

ひるがえって日本の現代住宅に光の考慮があるかというと、そんなものは皆無に等しい。まず既製品のサッシがあって、間取りのどの部分にそれをはめ込むか? しかない。それを求めるなら設計家に高い金を払う必用があるが、その設計に満足できるとはかぎらない。

かつての木造民家はそうではなかった。それは設計家が光を計算して建てたものではない。自然の材料と力学を素直に生かした結果、そうなったのである。群馬に縁の深い建築家アントニン・レーモンドは、日本の古い木造民家を見てこう言ったといわれる。

「西洋人のいう装飾とは反対に、日本にあるのは、必用の生み出した美である」「すべてを取り去ったとき、残る本質と原理とが、日本の魅力の源である」「単純性ということが、美化、そして省略を意味するような文化は、おそらく日本以外にいまだかつてなかった」(『働く家』OMソーラー協会編/OM出版)

竹こまいの土壁が消え、和紙の障子が消えた。囲炉裏やカマドのある土間が要求する吹き抜け空間や、それを彩る曲がった梁の組み合わせが、煙抜きの窓が消えた。はからずもみな、美しい光空間を演出する装置だった。土壁はサイディングへ、囲炉裏はガス・電気コンロ付きのシステムキッチンへ。かくして日本の家は美的にはほとんど魅力のない(むしろ醜悪な)、住むためのただの箱になった。結果的に耐用年数が長くなり、クリーンな箱になったならいいのだけれども、これが逆なのだからいっそう悲しい。

ではどうしたらいいのだろう? 答えは「木と土」の文化を、新たな感性で取り戻すことだ。『木と生きる、木を生かす/木地師千年の知恵と技』川北良造(祥伝社)、『鏝絵放浪記』藤田洋三(石風社)、どちらもとても面白く、勉強になった。


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