フランク・ロイド・ライトの暖炉


仕事で火のことを調べていて、図書館で建築の本などを漁っているうちにの『フランク・ロイド・ライトスタイル(8)ファイア・プレイス』というものにぶち当たった。これが、僕にとって目からウロコだった。

ライトといえば近代建築の巨匠といわれているけれど、大きな公共建築は少なくて住宅の設計例が非常に多い。その住宅の写真をみると、家具からステンドグラス風の窓から、そのデザインがものすごい凝り様で圧倒されてしまう。

僕が建築というものに興味がこんこんと湧いてきて、古今の建築写真集を片っ端から借りていたときのライトの印象はといえば「この人は宇宙人だ!」(笑)というものだった。まるで宇宙の魂がデザインを教えるために地球に転生した、といった感じを受けたのだ。

巨匠とはいえ、自然派のライトは近代建築史の中では異端の存在だ。たとえばコルビュジエは前衛絵画に惹かれ、それを自身の建築に投影したが、ライトはウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツの流れを汲んでいたし日本美術をこよなく愛していた、と考えれば解りやすい。ま、ここのところやけにライトの書籍が出始めているのは、遊び過ぎポストモダンやムダだらけガラス建築の反省と、環境時代のご時世でいよいよ・・・というところなのかな。

さて、ライトは住宅設計の中で、フィア・プレイスすなわち「暖炉」というものに固執していた。先に書いた書籍によれライトが設計した暖炉は1000以上(!)にのぼり、どれひとつとして同じものはないという。

「暖炉はライトの居住スペースの中心的存在だった。いつでも暖炉の輝きを身近に感じていたいと望んだライトは、3軒の自宅の各部屋にほぼひとつの割合で合計44もの暖炉を設けている」(同書より)

ン???? 「各部屋にほぼひとつの割合で」暖炉を造っていたって? ちょっと尋常じゃないよね。

「1930年代、アメリカ住宅にあるべきデザインの見直しを行ない、あらゆる不要なものを取り払った時でさえ、ライトは決してコスト削減のために暖炉を削るようには薦めることはなかった」

って言うんだから。

まあ自然石をつかったそのデザインもすばらしいが、中でも度肝を抜かれたのはライトの傑作中の傑作といわれている「カウフマン邸(落水荘)」の暖炉につけられている球形のヤカンである。回転式のアームで火にかざしたりくり抜かれた石の中に格納できたりするのだ。うーん。

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しかし、暖炉は贅沢なものだ(カウフマンはデパート王の大金持ちで「落水荘」は別荘だった)。ふつうの身分の庶民には高値の花だわな。じゃ、庶民には火は楽しめないのか? というと、囲炉裏というものが存在して、昔から火の楽しみだけでなく料理火の中心にもなっていたわけだね。

昨今、大手ハウスメーカーの住宅に、ライト風のデザインが採り入れられているのを見る。が、暖炉(疑似暖炉)にはオール電化のストーブがあったり、壁や梁は偽素材のハリボテであったり、見事に換骨奪胎されているのだ。ライトを私淑する今風新進設計家の住宅でさえ、その火の扱いに美と精神性を感じることはできない。なにしろ、設計家に「火使い」の原体験がないのだから。

農や食に関して新しい世代がいい仕事をし始めているのを見る。が、火を扱う文化は、日本から抹殺されようとしているかのようだ。その根源には、豊かな森と水に恵まれたこの風土というものが存在するのだが・・・。

ところで、考えてみれば、わがアトリエも各部屋に暖炉(火)各1個、ということに気づく(マッキー君、囲炉裏、火鉢、トラちゃん・・・)。どうです?こんな日本は ライト先生。

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