コロナのひろめ、高知の蒸し寿司


イベント主催してやり遂げて肩の荷が下りると、音楽のシャワーを浴びたくなり、旅に出て魂を解放したくなる。朝目が覚めると、昨夜のウィスキーの宿酔がほんのり残ったあたまで「高知に行きたい」という思いが募った。

行きがけに久しぶりの富家。いつもはチャーシューの中なのだが、3ヶ月の断油・肉の身には中華の小で十分。もう身体が変わってしまっているのか、美味しいとは思うけど、それほど感動はない。

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