福井講演旅(その6/浄土寺)


最終日、大阪から岡山の宇野まで陸路を走り、フェリーで高松へ帰る。その道行きで見たいお寺があった。兵庫県小野市の「浄土寺」。鎌倉時代の建物だが、ここに快慶の大作「阿弥陀三尊像」がある。

夕日を堂内に導き、床の反射を利用して、内部の朱色と仏像の金地を輝かせ、極楽浄土、来迎の風景を現すという劇的な光の演出効果を備えた御堂としても有名である。高校生の頃からこの寺の写真を眺めていたが、小野市は畑と溜池の点在する何の変哲もない田舎町だ。さすがに行く機会がなかった。カーナビを頼りに近づくと、「国宝 浄土寺」という大きな看板と駐車場が見えた。

これが仏像を内する浄土堂だ。大きい。僧重源によって建てられた。鎌倉時代のはじめ、東大寺の再建工事のときに重源は要職についていて、所領としてこの地を与えられ、それで浄土寺を造ったらしい。南大門とともに大仏様という特異な様式で、その内部は梁が45°に突き出て、雄渾で圧倒されるほどだが、中央に鎮座する巨大な阿弥陀三尊像がまたすばらしい。

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福井講演旅(その5/大阪キタ)


京都から、帰りはもう一度、大阪へ。キタの淀屋橋に宿をとる。御堂筋から歩いてすぐの所だ。

御堂筋といえばオーヤンフィーフィー(古いなぁ)だが「名前は北御堂(本願寺津村別院)と南御堂(真宗大谷派 難波別院)が沿道にあることに由来する」(ウィキペディア)。御堂とは 寺院。または仏像を安置したお堂を言う。

この御堂筋のキタの沿道には彫刻が置かれている。これが、なかなかいいのだ。実はいま居る高松もストリート彫刻が多いのだが(ほとんどが抽象石彫刻)、御堂筋のものは具象の大御所作品が多数あって楽しめる。それが銀杏並木とまたよく響き合っている。

高村光太郎の「みちのく」。十和田湖にあるやつの、小さいのだ。

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福井講演旅(その4前半/一乗谷)


前夜も福井で泊まり、帰路は京都経由でのんびり旅。途中、県の人から「ぜひ見ておくといいですよ」と言われた一乗谷遺跡を見に行く。

一乗谷は福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏五代の城下町の跡がそっくり埋もれていた場所だ。元は兵庫県の豪族だった朝倉氏が、応仁の乱の活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、町づくりを始めた。以来、5代103年にわたって越前の中心として栄えた。

この1万人の都市には、応仁の乱で荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたので、北陸の小京都とも呼ばれるほど華やかな文化がひらいた。が、天下統一の戦いの中で織田信長がここを焼き払い、一瞬にして消えてしまった。日本のポンペイとも言われる悲劇の都市跡なのだ。

信長が平定した後、越前八郡を与えられた柴田勝家は本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えたので、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれていった。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、その出土品の高さや庭園跡などを含む風致の高さから、全国で5例目となる国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けている(他の4ヶ所/京都の金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、広島の厳島神社)。

ちょうど資料館で特別展をやっていた。

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福井講演旅(その3後半/SHIZUKUライブ)


さて福井県での講演をやってきました。駅前のアオッサという建物、その8階にある県民ホール。

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その後、懇親会で歌をやることに。実は、講演前にステージでやっちゃえば、というハナシもあったのですが、さすがに学術的講演ゆえ後半に回してもらったのでした。円形テーブルのある景色のいい部屋です。

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