福井講演旅(その4前半/一乗谷)


前夜も福井で泊まり、帰路は京都経由でのんびり旅。途中、県の人から「ぜひ見ておくといいですよ」と言われた一乗谷遺跡を見に行く。

一乗谷は福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏五代の城下町の跡がそっくり埋もれていた場所だ。元は兵庫県の豪族だった朝倉氏が、応仁の乱の活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、町づくりを始めた。以来、5代103年にわたって越前の中心として栄えた。

この1万人の都市には、応仁の乱で荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたので、北陸の小京都とも呼ばれるほど華やかな文化がひらいた。が、天下統一の戦いの中で織田信長がここを焼き払い、一瞬にして消えてしまった。日本のポンペイとも言われる悲劇の都市跡なのだ。

信長が平定した後、越前八郡を与えられた柴田勝家は本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えたので、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれていった。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、その出土品の高さや庭園跡などを含む風致の高さから、全国で5例目となる国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けている(他の4ヶ所/京都の金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、広島の厳島神社)。

ちょうど資料館で特別展をやっていた。

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1995年(平成7年)に200メートルにわたって町並みが復元された。

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当時の衣装を着たガイドさんもいる。

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チョウナで削った柱や梁と土壁。

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囲炉裏は石だ。笏谷石と呼ばれる緑色凝灰岩を使っている。この石をくり抜いて加工した行火もあった。

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唐門。奥に庭園などがある。

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自然石を利用した護岸が遺跡の景観を引き立てている。今回、私を講演に呼んで下さった方がこのデザインに関わっている。

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敦賀市内を一巡りして京都へ。敦賀は水戸出身の私に「水戸天狗党」の処刑地として思い出される。


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