白インゲンの収穫を終え(それにしても昨年に比べてかなり遅れた収穫日であった)、畑にはハクサイ、ブロッコリー、長ネギ、キャベツ、ホウレンソウがあるが、イノシシに何度も撹乱された後のものなので育ちが悪い。
それでもYKがホウレンソウをちぎってきたので生で食べてみる。「旨い!」やっぱり昨年と同じ。まるでリンゴを連想させる含み味、かすかにナッツのようなコク、青菜に特有の苦みはほとんど感じられない。
囲炉裏暖炉のある家 tortoise+lotus studio
イラストレーター・著作家、大内正伸のブログ
白インゲンの収穫を終え(それにしても昨年に比べてかなり遅れた収穫日であった)、畑にはハクサイ、ブロッコリー、長ネギ、キャベツ、ホウレンソウがあるが、イノシシに何度も撹乱された後のものなので育ちが悪い。
それでもYKがホウレンソウをちぎってきたので生で食べてみる。「旨い!」やっぱり昨年と同じ。まるでリンゴを連想させる含み味、かすかにナッツのようなコク、青菜に特有の苦みはほとんど感じられない。
というわけで薪づくりである。今年伐ろうかと考えていたやや太めのクヌギが敷地にあるのだが、かなり太いフジがからみついている。そのフジは、伐ろうと考えていたクヌギの隣にあるやや小振りのクヌギの根元から立ち上がり、その小振りのクヌギを介して絡み付いている。
すなわち、目的の「やや太めのクヌギ」を伐り倒すためにはフジを伐らねばならず、小振りのクヌギも伐り倒さねばならない。大小のクヌギに架け橋のように絡んだフジは、位置が高くて切断がままならないからである。
ところが、ここでもう一つモンダイがあった。小振りのクヌギの側から立ち上がったフジは、「やや太めのクヌギ」を介してさらに上部にあるシラカシ大樹にも届いているように見えるのだ。この3本を伐ったとしても、シラカシに絡み付いているとすれば倒れない可能性も出てくる。
念のため、「やや太めのクヌギ」に梯子をかけ、牽引のロープをかけておいた。まず大蛇アナコンダのようなフジを根元から切断。そして小クヌギを伐る。案の定、倒れない。そして、ぐっとテンションのかかった「やや太めのクヌギ」を伐りにかかる(危険である)。
木の「伐り旬」というものがある。木材を使う場合、その木をいつ伐り出すか? で、その材の質はずいぶん変わってしまうのだ。木も竹も、材として使うなら伐るのは「秋」が最適といわれている。もっと幅広く表現するなら、お盆過ぎから年内まで。すなわち9~12月、といっていいかと思う。
この時期は木が水を吸い上げない、活動が止まった時期だからで、8月のお盆の時期なんてまだ旺盛に木は水を吸い上げ成長しているんじゃ? とか、1月なんてまだ冬だから伐っても大丈夫では? などと思うかもしれないが、木(植物)は人間の感覚よりも常に季節を先取りしているのだ。
アトリエに来て最初の冬、’05年の1月9日にクヌギの大木を伐った。そのとき、すでに水を吸い上げており、切り口からしずくがポタポタと落ちた話しは前のホームペ-ジにも書いた。
それを仕立てた薪は、やっぱり虫食いが酷かった。1年目の夏、薪置き場にたくさんのカミキリムシが来ていた。キイロトラカミキリが非常に多かった。秋頃から薪の中でカリカリと音がする。中枝などは穴だらけで地面に叩くと折れてしまうほどだった。これには驚いた。
そして薪2年目の今年、第二回目のカミキリムシ様、飛来。産卵を経て、またまた幼虫がいるのであった。ノコギリで薪を切ってみるとまるでレンコンのようになっている。これじゃ薪としての歩留まりは半分以下だ。クヌギは本来、硬い木で、マサカリを跳ね返すほど稠密な材質である。が、穴だらけにされたその穴には、カミキリムシの幼虫の食いカスや糞が詰まっている。薪だってくすぶる。
イラストマップと看板の仕事で宮城県に行ってきた。仙台平野は昔から水鳥の飛来地として有名で、とくにマガンは数が多い。着いた夕刻、蕪栗(かぶくり)沼をねぐらとするマガンの帰還に遭遇し、その声と羽ばたきのスケールに感動させられた。いま、日本でこんな圧倒的な野生生物の息づかいを感じさせる場所はそうそうはないのではないか。
仕事で火のことを調べていて、図書館で建築の本などを漁っているうちにの『フランク・ロイド・ライトスタイル(8)ファイア・プレイス』というものにぶち当たった。これが、僕にとって目からウロコだった。
ライトといえば近代建築の巨匠といわれているけれど、大きな公共建築は少なくて住宅の設計例が非常に多い。その住宅の写真をみると、家具からステンドグラス風の窓から、そのデザインがものすごい凝り様で圧倒されてしまう。
僕が建築というものに興味がこんこんと湧いてきて、古今の建築写真集を片っ端から借りていたときのライトの印象はといえば「この人は宇宙人だ!」(笑)というものだった。まるで宇宙の魂がデザインを教えるために地球に転生した、といった感じを受けたのだ。
巨匠とはいえ、自然派のライトは近代建築史の中では異端の存在だ。たとえばコルビュジエは前衛絵画に惹かれ、それを自身の建築に投影したが、ライトはウィリアム・モリスのアーツ・アンド・クラフツの流れを汲んでいたし日本美術をこよなく愛していた、と考えれば解りやすい。ま、ここのところやけにライトの書籍が出始めているのは、遊び過ぎポストモダンやムダだらけガラス建築の反省と、環境時代のご時世でいよいよ・・・というところなのかな。
さて、ライトは住宅設計の中で、フィア・プレイスすなわち「暖炉」というものに固執していた。先に書いた書籍によれライトが設計した暖炉は1000以上(!)にのぼり、どれひとつとして同じものはないという。
「暖炉はライトの居住スペースの中心的存在だった。いつでも暖炉の輝きを身近に感じていたいと望んだライトは、3軒の自宅の各部屋にほぼひとつの割合で合計44もの暖炉を設けている」(同書より)
ン???? 「各部屋にほぼひとつの割合で」暖炉を造っていたって? ちょっと尋常じゃないよね。