10日目/魚梁瀬~馬路村~室戸岬~瀬戸大橋~岡山~津山


「限界成立本数が日本で最も高い森」と鋸谷さんに教わった魚梁瀬のスギ林を、いちど見ておかねばと思っていた。その森はたしかに凄かった。天然スギといえば荒くれた太い枝が何本も突き出してしる木が多い。しかしここのスギはきれいに枝打ち管理されたように通直完満に、すっくと天に伸びている。そして、たしかに密度が濃い。

中層木の広葉樹が多数入り込んでおり、中には太ももほどの太さに育っているミズメやホオノキ、サカキなどがある。後続の広葉樹は光が制限されるためにひょろ長い樹形に育っている。その雰囲気は、伊勢神宮宮域林にそっくりである。

台風被害でズタズタの四国の中で、ここ魚梁瀬遺伝子保護林は被害がまったく見られない。中層木のあついところは、下草は少なく地面が露出している。しかし腐葉土が厚く堆積している。また、大きな石や地面に伏せた倒木には苔が生えている。治山治水の要(かなめ)は、実はこの中層木の広葉樹にあるのだ。

かつて魚梁瀬杉は林野庁のドル箱であった。ここの営林署長から、林野庁長官に出世した人もいるほどである。宿に杉巨木を輪切りにしたテーブルがあった。その芯の年輪が緻密で、辺材が少なく赤みが多いことに驚かされる(芯の部分の年輪が稠密で、辺材部分が疎になっている)。

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9日目/高松~高知~安芸~馬路~魚梁瀬


19日に行った魚梁瀬に再び。ここには天然スギの美林があり「遺伝子保護林」として保全されている地区がある。それは車止めから登山道を歩かねばならず、19日は遅く着いたため見れなかったのである。

午前中から午後2時過ぎまで、僕は県立図書館でパソコンのデータ整理をやっていた。ここでフォト管理ソフト上で誤って全データを消してしまい青くなる。新PCのOSやアプリケーションに慣れておらず、誤操作してしまったのである。相方の写真も僕のPCで管理していたので宮域林の重要な写真まですべて失ってしまった。全身から血の気が引くほどのショックを受ける。

それでも調べてみると、ゴミ箱のデータを完全に上書きしなければ専門のソフトでデータを取り戻すことも可能らしい。気を取り直して魚梁瀬に向かい到着したのは7時過ぎだった。宿は魚梁瀬温泉の「満木(まんんもく)荘」といい営林署の全盛時代を思わせるようなスギの木の調度品に囲まれた古い宿だった。


8日目/小豆島~高松~別紙中山~高松


宿で朝食後、岸壁にはりつくお寺に登りに行った。和尚さんに指輪のいわれなどを聞く。指輪とは本来「願掛け」の印で、草の環を使っていたのだそうだ。小豆島観音像をまわり、財産区のヒノキ林を見にいく。台風被害の雪折れ(根からの倒復)が目立った。シンパク巨樹を見て池田港から高松へ渡る。
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7日目/直島~宇野(渋川)~小豆島


朝、「高知台風14号被災地、知事が視察」というニュースをやっていた。コペンを駐車場から出して直島に渡る。安藤忠雄設計の「地中美術館」へ行った。ここにはモネの最晩年の「睡蓮」シリーズ、ジェームズ・タレルとウォーター・デ・マリアの現代美術が設置されている。安藤忠雄の建築空間そのものが作品だということで、チケット売り場では「門をくぐったら写真撮影は禁止、建物に触らないように、携帯電話のスイッチを切るように」と説明を受ける。

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6日目/高松市内


午前中、前に個展でお世話になった「展示工房・納屋De手仕事」のオーナーYさんに会いにいく。砥部焼の展示をやっていた。CDと『現代農業』の連載コピーをお渡しし、近況報告をした。昼食はうどんをごちそうになる。

午後は屋島を回り、高松駅前のサンポートと呼ばれる再開発地を見に行った。ここもまた流行のガラスを多用した建築だ。築港・港湾だけに工事費も凄かっただろうが、今後のランニングコストもまた膨大なものになるだろう。夕刻までホテルの部屋でパソコン、日記を打つ。ロビーのネットを利用して間伐掲示板に投稿する。夜は居酒屋カラオケに連れていってもらう。高松らしく魚の料理が美味しかった。