7日目/直島~宇野(渋川)~小豆島


朝、「高知台風14号被災地、知事が視察」というニュースをやっていた。コペンを駐車場から出して直島に渡る。安藤忠雄設計の「地中美術館」へ行った。ここにはモネの最晩年の「睡蓮」シリーズ、ジェームズ・タレルとウォーター・デ・マリアの現代美術が設置されている。安藤忠雄の建築空間そのものが作品だということで、チケット売り場では「門をくぐったら写真撮影は禁止、建物に触らないように、携帯電話のスイッチを切るように」と説明を受ける。


このごろ安藤忠雄の建築から熱が急速に冷めてしまい、ほとんど魅力を感じなくなってしまった。この地中美術館も「?」「・・・」の連続だった。まずチケットもぎりの人が入っている建物(と呼べるか?)が凄い。人間1人がやっと入れる狭い鉄の箱で、中でバイトする青年が修行僧のように見える(いちおう冷房が入るとのこと)。装飾の全くないコンクリートと鉄とガラスの空間は、刑務所か死体安置場を連想させる空気が漂っている。中で説明してくれるスタッフは皆若い人たちなのだが、その服装がまた白装束で気味が悪い。

「これで入場料2,000円か。二人で4,000円、フェリーの往復代金(コペンも一緒)や、美術館での食事、それにもう一カ所の美術館や家プロジェクトの入場料を加えたら、一人1万円は飛ぶね」
「まあしょうがないよ、見なきゃ書けないからね」

モネの数点はさすがに良かった。が、タレルの作品は子どもだましのようだし、マリアの作品ははっきり言ってツマラナイ。トップライトの採光部にガラスがかけてあって空気が動かないので部屋がコンクリートの刺激臭がするのだった。現代美術は道から外れ袋小路に入ってしまい、そこでバケモノのように育ってしまった。そんな印象を受けた。

以前、津山で個展をやったとき、近隣の奈義町の現代美術館を見に行った。それは荒川修作とマドリン・ギンズの発想と作品を、建築家の磯崎新が具現化したというものだったが、難解なコンセプチュアル・アートで、こんなものが地元によく受け入れられたな、と思っていた。ところが、僕らの個展に来てくれた奈義町のある人が、あの美術館を「奈義町の恥部」と吐き捨てるようにつぶやくのを聞いてしまったのだ。

同じように、ベネッセの施設は島の中で浮きに浮いていると感じた。たしかに観光客は増えたが、彼らはエイリアンだ。そもそも島の自然や歴史に全くとっかかりをもたない「現代美術」そのものが、ここではエイリアンである。家プロジェクトは島の人たちを美術の中に取り込む試みでもあったが、地元では関連作品を「オバケ屋敷」と言っている人もいたし、ようするに「金持ちのお遊び」とそれに集まる「イモ集団」と見ている地元の若者の目を感じた。

早くここから離れたいと思った。コペンを走らせ港へ戻る。今日の宿は小豆島だ。直島から宇野行きのフェリーで出発する。到着後、次のフェリーまで時間があったので、コペンを西に走らせて渋川海岸まで行ってみた。そこには西行法師の銅像があって「西行法師腰掛け岩」などというものまである。崩御した上皇を思慕して四国を長く旅した西行が、ここに立ち寄り歌を詠んだという。どうも僕は西行の回った場所に縁があるようだ。ここもまた「呼ばれたんだ」と思った。

小豆島は修学旅行以来、30年ぶりの再訪である。『二十四の瞳』の銅像やいくつかのお寺をまわり、中山の名水やその眼下に広がる千枚田を見にいった。宿は池田港近くにある国民宿舎だが、ここの風呂はなんと温泉で、食事もなかなか良かった。相方は昨年の夏、群馬に来る直前に小豆島を一人旅していて、お礼参りにどうしても訪れたい場所があるとのことだった。ともあれ眼下に瀬戸内の海が広がり、夕日の美しい宿だった。


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