囲炉裏改造、講演とミニライブ(その5/阿蘇高森にて)


今日は午後から講演なのだが夜はジローさん宅の囲炉裏でお料理会がある。40代のジローさんは囲炉裏を作るのも使うのも初めてだ。いろいろ改良すべき点がみられたので、アドバイスして手伝うことにした。要点は次の4つ。

1)中のブロックを取り去って灰をかさ上げする

2)自在カギを使いやすいように改造する

3)熾き炭が保存できるように消し壷を用意する

4)火吹き竹を使いやすいように作りなおす

いずれも生活の囲炉裏として使うときは非常に重要な要素だ。灰は薪ストーブをやっている近所のお宅からたっぷりいただいてきたが、その前に古い灰に交じるゴミなどを取り去る。
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丸星ラーメン、南阿蘇の囲炉裏(その4/熊本到着)


すっかり常連になってしまった久留米の丸星ラーメン。街道沿いにあり24時間営業。しかしハンパじゃない九州ラーメンを380円という驚きの価格で提供する。

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福井講演旅(その4前半/一乗谷)


前夜も福井で泊まり、帰路は京都経由でのんびり旅。途中、県の人から「ぜひ見ておくといいですよ」と言われた一乗谷遺跡を見に行く。

一乗谷は福井市街の東南約10kmにあり、戦国時代朝倉氏五代の城下町の跡がそっくり埋もれていた場所だ。元は兵庫県の豪族だった朝倉氏が、応仁の乱の活躍をきっかけに一乗谷に本拠を移し、町づくりを始めた。以来、5代103年にわたって越前の中心として栄えた。

この1万人の都市には、応仁の乱で荒廃した京から、多くの公家や高僧、文人、学者たちが避難してきたので、北陸の小京都とも呼ばれるほど華やかな文化がひらいた。が、天下統一の戦いの中で織田信長がここを焼き払い、一瞬にして消えてしまった。日本のポンペイとも言われる悲劇の都市跡なのだ。

信長が平定した後、越前八郡を与えられた柴田勝家は本拠を水運・陸運に便利な北ノ庄に構えたので、辺境となった一乗谷は田畑の下に埋もれていった。遺跡の発掘調査は、昭和42年から進められ、その出土品の高さや庭園跡などを含む風致の高さから、全国で5例目となる国の三重指定(特別史跡・特別名勝・重要文化財)を受けている(他の4ヶ所/京都の金閣寺、銀閣寺、醍醐寺三宝院、広島の厳島神社)。

ちょうど資料館で特別展をやっていた。

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あたたかく・・・街場の囲炉裏暮らしは


早起きして囲炉裏に火を入れる。今朝は暖かい。井戸の氷が張らなくなった。

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ようやく本の原稿がまとまる。手直し、写真、イラストと、まだまだ戦いは続く明後日は編集者と打ち合わせ、そして佐野で2時間という長丁場のライブ。
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