僕にとって「魂の森」とは


同居人の相方の直感はかなかなスルドイ。鶴ヶ島の講演前に図書館で『魂の森を行け』を借りてきて読み、「なんだこりゃ!」「これウソだよ~」とか一人言をつぶやきつつ(かなり辛そうであった)、宮脇氏の誤謬に瞬時に気付いたようだった。
http://wind.ap.teacup.com/yamakaze/123.html

人は権威に弱い。肩書きに弱い。日本人はとくにそうだ。これみよがしのハッタリにだまされる(しかし、本物はハッタリなどかまさないものだ)。それより、なぜこのような人が世の中にメジャーに登場してくるのか? ということを考えなければいけない。

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宮脇昭氏と供に


今日は埼玉県の鶴ヶ島市で講演。前日からプロジェクターで映す資料を作ったり忙しかった。その仕事が全部終わらず、早朝起きて残りをやろうと思って窓を見ると雪(!) 慌てて早めにアトリエを出る。国道に下りると雨に近いみぞれになって、ほっとする。「つるがしま里山サポートクラブ」の招きで、今回はNPO法人設立記念講演というふれこみで横浜国大名誉教授の宮脇昭氏をトリに、僕はその前座で「人工林の現状とその解決策としての鋸谷式間伐の話を」という依頼だった。場所はこの市民グループを支援しているパイオニア総合研究所の一室で。

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田中正造の遺したもの


かすみがうら町、真壁と再取材し、栃木の佐野市郷土博物館に寄った。足尾鉱毒事件に立ち向かった田中正造に関する常設展示があるというので期待して入ったが、結局「彼が何をやったか」という案内しかなく、その動機となった事実の説明がほとんどない。なんだか田中正造の「魂」の部分が骨抜きにされているようで正直がっかり。だから、日本は変われないんだろうな。足尾のような自然と人との関係を引き裂く残虐なことが、いまは深く潜航しながら、巧妙に行なわれているだけだ。

帰りぎわ、群馬に戻って太田市でEという店を見つけて入ってみた。水戸でみた巨大なショッピングセンターとほぼ同じ形式で、駐車場まで含めると気の遠くなるような広大な面積だ。しかも1階の食料品売り場はなんと24時間営業。恐ろしいのはこのグループが「木を植えています/私たちはEです」などと環境系の装いを前面にアピールしていることだ。

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アトリエの火鉢


囲炉裏を離れたら、和室では火鉢。この炭は自家製だ。とはいえ窯で焼いたものではなく囲炉裏で製造(?)したものだ。方法はいたって簡単。囲炉裏で燃やしている木の先端を火ばさみ叩くかでポキリと折るかして熾炭を取り出す。炉の中央の灰の中にも熾炭が潜ったまま赤々としている。すぐ使うなら(つまり囲炉裏での食事を終え、和室に移動するなら)それをかき集めて小鍋(コーヒー豆を煎るのに使っているもの)で運ぶ。保存して後で使うなら「火消し壷」に入れて火を消しておく。こうしてためておいた消し炭を、後で火鉢で使うのだ。

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魂の森とは?


藤岡の「たむら」でお土産にいただいた塩サバを再び囲炉裏で焼いて昼食に食べる。感嘆するほど旨い。蒸し器で温めなおしたご飯も美味しい。「蒸し器で温めたご飯」などというものは今や死語だろう。冷や飯を温めるのはどの家庭でもきょうび電子レンジだものな。蒸し器のご飯はべちゃっとして不味い気がするけれども、アトリエのはまるで炊きたてのごとく美味しい。もともと山水で薪で羽釜で炊いたご飯だからメチャ旨ご飯なのだけど、これを蒸し直すと美味しいのは、水蒸気をたてる水の美味しさがちがうからか? ともあれ、熾炭で焼く魚は旨い。

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