かすみがうら町、真壁と再取材し、栃木の佐野市郷土博物館に寄った。足尾鉱毒事件に立ち向かった田中正造に関する常設展示があるというので期待して入ったが、結局「彼が何をやったか」という案内しかなく、その動機となった事実の説明がほとんどない。なんだか田中正造の「魂」の部分が骨抜きにされているようで正直がっかり。だから、日本は変われないんだろうな。足尾のような自然と人との関係を引き裂く残虐なことが、いまは深く潜航しながら、巧妙に行なわれているだけだ。
帰りぎわ、群馬に戻って太田市でEという店を見つけて入ってみた。水戸でみた巨大なショッピングセンターとほぼ同じ形式で、駐車場まで含めると気の遠くなるような広大な面積だ。しかも1階の食料品売り場はなんと24時間営業。恐ろしいのはこのグループが「木を植えています/私たちはEです」などと環境系の装いを前面にアピールしていることだ。
駐車場の傍らのごくわずかなスペースに宮脇方式で植えられた木々を「将来の鎮守の森」などとと呼んでいいのかの是非は別として、心配なのはこの店の登場で確実に干上がる他店ができるであろうこと、そして木を植えることは正しい(だから木を伐ってはいけない)と刷り込まれる人ができてしまうことである。このような開発や売り方が、植林という美談をダシにして(環境系NPOへの助成も行なわれ、店内にはその報告が紹介されている)、人々に肯定され潜在的に気持ちに入り込んでしまうことも恐ろしい。
2階にはガチャガチャやUFOキャッチャーのコーナーがどーんと設えてあるフロアーがあるのも驚きだった。子どもたちは、親や祖父母からせびった100円玉をもってここで遊ぶというわけか・・・。カワセミを眺めながら自然の水辺で棒切れで遊ぶのと、なんという違いだろう。ここでは電気や現金がなければ遊べないのだ。
「ものを売る」という原型は、本来地元で穫れたものを、明るいうちに筵(むしろ)の上に座って売るスタイルであろう。そこには煌煌と点く電灯も、冷暖房も、エスカレーターもいらない。ここで売られる食料のどれほどが、世界中からかき集められたものなのだろうか? 輸送には船や大型トラックが使われる。それがCO2削減・地球温暖化防止の今の時代に行なわれているのだが、それが「木を植えています」という美談のもと、なし崩しにされてしまう。
田中正造の生きたその時代、豊穣な関東平野のど真ん中にある渡良瀬川と谷中村を、日本の近代は見捨てた。自然と調和する暮らしの暖かさよりも、自然をねじ伏せる快感を選んだ。そして、かりそめの豊かさの影に、世界中にたくさんの谷中村がある。「Eの駐車場に木を植えた人は、それをどんな風に思っているんだろう? いまどんな気持ちなんだろう? それを聞いてみたい・・・」と、相方がつぶやいた。