同居人の相方の直感はかなかなスルドイ。鶴ヶ島の講演前に図書館で『魂の森を行け』を借りてきて読み、「なんだこりゃ!」「これウソだよ~」とか一人言をつぶやきつつ(かなり辛そうであった)、宮脇氏の誤謬に瞬時に気付いたようだった。
http://wind.ap.teacup.com/yamakaze/123.html
人は権威に弱い。肩書きに弱い。日本人はとくにそうだ。これみよがしのハッタリにだまされる(しかし、本物はハッタリなどかまさないものだ)。それより、なぜこのような人が世の中にメジャーに登場してくるのか? ということを考えなければいけない。
前後の脈絡がなく、マスコミの前面に出てくる人は、社会をある方向へ誘導しようとする支配者が、コマとして使っている場合が少なくない。大手の新聞やテレビの特集やシンポジウムの中心的話題になる人、「賞」を受ける人は、本人は確信犯ではないにせよ「高次の操作がある」とみるべきである。森林関係では、東京のT氏とか三重のH氏の場合もそうだったのだ。
おかげで森林ボランティアは隆盛し、人工林の環境林へのシフトへ関心は向いたものの、結局は真実が煙に巻かれるという逆効果を呈して、日本の森林問題はいまだ停滞・悪化をみたままだ。名誉出世欲の強いこれらの人は策略に簡単に引っかかる。そしてジャーナリストがその情報をうのみにし、薄いデータをかざして混乱に拍車をかける。
森林関係などなぜ地味なテーマにそんなことが? などと思ってはいけない。日本人にとって森は、精神性に極めて重大な意味をもつ。縄文の昔から、人の魂の根幹には「森」があるのだ。水や生き物や作物の源泉に「森」があることを、日本人は太古の昔から現在に至るまでずっと理解し、保持してきた。
それがいま、いよいよ根底から「壊れる」「壊される」、最終段階に来ているように思われる。
鶴ヶ島の講演では時間が短くて用意したスライドがすべて見せられなかったが、僕が中高生の頃に採集したチョウの標本の写真を準備していた。
もう30年も前の標本だが、桐箱で管理していたせいか、虫食いもなく、いまだに羽の輝きは色あせていない。これらの多くは通称ゼフィルスと呼ばれるミドリシジミの仲間で、日本には25種類いる。みな広葉樹の樹木に依存する森のチョウたちである。
それぞれの幼虫の植樹は様々で、ブナ科のブナ、クヌギ、コナラ、ミズナラ、アベマキ、カシワ、カシ類もあるが、マンサク(ウラクロシジミ)、トネリコ(ウラキンシジミ)、ヤマザクラ(メスアカミドリシジミ)、イボタ(ウラゴマダラシジミ)、オニグルミ(オナガシジミ)、ハンノキ(ミドリシジミ)など。地球的にみるとこのチョウたちはアジアのヒマラヤ山脈以東に多い。日本は世界的にみてゼフィルスがたくさんいる国なのである。
講演の中で、このチョウの羽の輝きが日本の森から生み出されていることだけでも知ってほしいと思った。下の写真は、僕が15歳のとき文献に発表した採集記録である。そして当時使っていた図鑑とガイドブックである。この頃はパソコンもゲームもなかった。しかしゼフィルスを求めて森を歩いた体験は刺激的で、没我できるすばらしい体験だった。そして、この森の多くは人工林化してしまったのだ・・・。