愛用の信三郎帆布バッグの肩ひもがほころびてしまい、修理を頼んでいたのだが、それができたので京都まで取りに行った。
京都は群馬在住時代から、高松の行き帰りにずいぶん立ち寄っている。神社仏閣はもちろん町家建築からホンモノの伝統工芸やらシブい居酒屋もあるので、毎回楽しみで行く度に新しい出会いや発見がある。必ず立ち寄る店もいくつかある。
今回のもうひとつの目的は能楽を観ることだった。昨年、高松城址で「薪能」を見て能に魅せられた(こちら)。いずれ京都で、演目は「山姥」を観たいと思っていたら、ちょうど12月に観世音会館でその演目がある会があったので予約しておいた。全席自由で前売り4,000円である。
なにしろ能楽というものの構成、ぜんぜんワカランw。演目は能が3つ(敦盛、羽衣、山姥)に狂言が一つ(惣八)、それに「仕舞」という数人のソロの舞いが休憩後に挟まれる。
能楽は室町時代に完成された。きらびやかな平安時代を経て戦乱・平家の没落があり、鎌倉時代のルネッサンスを経て、侘び寂びの室町時代にできた(かなりおおざっぱな解釈だが・・・w)。
能はまず舞台がイレギュラー、かつ簡素だ。正方形の能舞台がありそてに橋が架かって(伸びて)いる。幕(緞帳/どんちょう)がない。だから、演者は橋の奥にある(ここには小さな幕がある)楽屋(鏡の間)から橋を渡ってやってくる。また終わるときはお辞儀も手を振ることもせず、静かにすり足で橋を渡って小さな幕の向こうに去っていく。
私は仕事で現代人形劇の舞台に関わっていた経験があるので、極限までそぎ落とされた能のシンプルさが肉感的により解るのだが、能には舞台美術(装置)というものがなく(背後の壁に松と竹の壁画があるだけ)、その変化もなければ、照明の変化もない。舞台おける照明というものは絶大な効果があるもので、それがないのである。
舞台の場面変化、情況説明は演技と小道具だけ、その暗喩でみせる。そして音楽。これまたシンプルで、大小の鼓と小太鼓、横笛、それにコーラスのような声楽のパート地謡(じうたい)だけ。というわけで、能の装置で凝れるのは衣装と面なのだ。
だからこの衣装(装束)がイイ! 絹や麻の草木染め、その色や柄の組み合わせ、帯や組紐などの細部にいたるまで、すばらしく凝っている。そしてシブい。一方でその対比に金銀の色鮮やかな糸で織られた着物も美しい。
能面はいわずもがな。今回はいい席に座れたのでよく観察できた。双眼鏡を持っていった。これで衣装や面の細部を観察するのである。
装束の組み合わせが色彩的だけでなく彫刻的であることにも気づいた。名前はよくわからないが、髪、面、かぶり物、帯やその小物、扇など、小物まで美しいのである。全ての装飾文様には演目における配役的意味があるのだろう。
そして語りの古語が、私は好きだ。古語というのは贅肉を剥ぎ取っているのに、深い含蓄がある。かつ響きが美しい。
能舞台は檜舞台と言われるようにヒノキの板張りであり、柱や梁、細部に至るまで総ヒノキ造りだ。現代の能を見せるホールは鉄筋コンクリートの近代建築に木造の能舞台を収めている。もともと、能舞台は野外にあり、それを再現しているというわけ。演者の舞が行われる本舞台は3間(5.4m)四方の正方形だが、木材はその長さの一枚板を並べてつくられている。1間に4~5枚だから、板の幅は5.4m×40cm前後。
この舞台の床材は、唯一無二、ヒノキでなければならない理由がある。能の舞はすり足であるから、床がスギでは柔らかすぎて、長年のうちに木目が浮き出て凹凸ができる。これはすり足に支障がおきる。では硬い材なら広葉樹のナラやケヤキを使ったらどうか? と思うが、広葉樹では5.4mまでの長材は出ない。ヒノキでなければ硬い長い板材が揃わないのだ。しかもヒノキは白い。舞台映えに貢献する。
すなわち、日本の森の天然ヒノキが、能を導いたとも言える。
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さて、敦盛はすばらしかったが山姥は古語の語りがさっぱり解らず、とくに能面の上からくぐもった語りは聞き取りにくく、解読できない。予習はしていたので、だいたいの内容は解るが、やはり言葉を解読できないのはもどかしい。でも、敦盛の語りや狂言は、ほとんど言葉が解る。狂言惣八は痛快だったし、敦盛は良かった。涙が出たよ。
佐野元春の歌「君が気高い孤独なら」に沿わせて言えば、「このどうしようもない夜のまん中で」いま僕らは能楽を求め、欲している。逆に言えば、能に癒される、今はどうしようもない、夜の時代なのだ。こんなすばらしい鉱脈を今まで残してくれてありがとうと言いたいが、一方で、能自身も進化が必要なのではないかと思ったことを、付け加えておく。
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おまけ。御所ちかくのギター屋さんでバーゲンをやってたので買っちゃった♪