高松城址薪能


囲炉裏を愛する私としては、薪の火に関するアートはないものか、と常々思っていた(2年前には京都の五山の送り火を見に行った)。ひょんなことから高松城址で「薪能(たきぎのう)」をやるという情報が飛び込んできた。城跡である玉藻公園の中で、野外でかがり火を焚いて、狂言と能を演じるというのである。しかも能のお題は源義経がらみの「船弁慶」。さっそくチケットをゲット(3,000円)。

で、ちょっと車を動かす用事があって昼は久しぶりに坂出の「がもう」へ。こんなド田舎(失礼!)なのになんでこんなに人が集まるの? いや、でもこの独特の雰囲気はほとんどパリのカフェ状態なんだよなぁ。店の中は狭いので外にテーブルやベンチが置いてある。天気のいい日、ほとんどのお客さんは外で食べるのを好む。

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そういえば、ここではまだ冷や出汁を食べたことがなかったので、冷たい麺に冷や出汁で行ってみる。「つめたいかけだし」と書かれたタンクの蛇口をひねって自分でジャ~。なんだか温玉も食べてみたくなり・・・これもセルフなので生玉と温玉を間違わないように取り(温玉にはマジックペンで線が引いてあるのに注目)、自分で殻を割って丼の中へ。

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どうです? 冷やかけ(一玉)温玉・ゲソ天(130+80+80=290円)の勇姿。

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薪能のはなしだったねw。まず驚いたのは観客が多いこと、そして開演30分前に会場へ行ったらすでにいい席がふさがっていたこと。狂言や能がこんなに観客を集めることに、関西という文化の深みに驚かされるのである。

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残念ならが上演中の撮影は禁止なので映像ではお伝えできない。が、狂言も能も本当に素晴らしかった。恥ずかしながら私はこれまで機会がなく、狂言と能を初めて観たのだが、まず狂言の空間と動きと言葉、そしてなにより衣装がすばらしい。

あれは多くが麻布なのであろうか。その色の組み合わせ、柄の組み合わせが渋い。渋すぎる。そして極限までムダをそぎ取り、笑いの中にも常に空間的な緊張感があり、役者の言葉の確かさ、その和語の美しさがいい。

能の「船弁慶」は都落ちする義経と静の別れ、そして船出、海上での怨霊と弁慶の祈祷との戦いがクライマックスで演じられる。能舞台と橋のような移動路が実に効果的だ。シテの静御前と怨霊の平知盛は同じ役者が面を変えて演じる。そこがまた、見所であり妙だ。笛と鼓、地謡もドラマティックに呼応し、前面の薪の炎が、時おり火の粉を舞上げて妖艶さを誘う。

衣装、音楽、言葉、動き、空間、間、その様々なものが、私の琴線に生々しく触れていく。終わり方も渋い。

席は後ろになってしまったけど、橋懸かりの前で、双眼鏡PENTAX6.5×21を持っていったので役者のその表情や手指の動きや、火の粉の舞い飛ぶ様や、衣装のひだのひとちひとつをつぶさに見ることができたのがよかった。

なんということだ。50を過ぎるまでこんなすばらしい自分の国の芸術に無頓着であったとは。

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次回は京都で「山姥」でも観てみるか・・・。


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