8月のドングリランドがやってきた。盛夏というのに、やはり草の伸びの少なさが顕著だった。
まずはノコガマだけ持って敷地を巡回して変化を確認しようと動き始めたのだが、ビジターセンター前の斜面でサクラの木の根元に伐採薪が大量に放置されているのを発見し、皆でそれを運び出すことになった。
丸太は少し腐食が進んでいるが、乾かせばまだ薪として十分使えるレベル。皆でリレーで運ぶのだった。
終えて、広場の周りを巡回。前回初めて手をかけた上の段の広場は、水脈のおかげか裸地がまったく見えなくなり、オオバコにびっしりと覆われていた。さすがにこの変化には全員が気づいたようで、口々に「これはすごい!」と言っていた。
上下の広場をつなぐ坂道には小さな抵抗柵を3つ設置したのだが、効果が現れて道にも草が生え始めている。この道に草が生えたのは初めてだそうだ。
シンボルツリーのクリの根元から離して置き直した丸太イスだが、まだクリの息の吹き返しが弱いので、薪に割ってしまうことにした。ところが、すでに水分を吸ってぐずぐずで、クサビが効きにくいのだった。
チェーンソーを取り出して、割りやすいように刻んだり、クサビのガイド溝をつけたりした。このとき判明したのは、この丸太イスの材質がその匂いから「クスノキ」であることだ。クスノキはかつて防虫剤の樟脳(しょうのう)の原材料であり、防虫効果がきわめて高い。そんな成分の丸太イスがクリの木の根元を塞ぐように約2年ほど置かれていたのである。
さて、広場では同時に昼食の準備が。今日はソーメンの約束だ。僕は自家製の「めんつゆ」持参を仰せつかった。
ソーメンは持ち寄りなので時間差でそれぞれを投入。沢水で冷やしてから氷水の中に泳がして食べる。
薬味や副菜はみなさんがそれぞれたっぷり持参してくれた。
めんつゆは昆布・干し椎茸・鰹節、そして梅干しを隠し味に。例によって鰹節は本枯れ節を削ったもの。今回、その鰹節と削り器も持参して皆に見せることにした(写真右下)。なぜなら、鰹節の製造には「燻(いぶ)し」の工程が欠かせないのであり、その原料の「薪」は里山の産物なのである。
以前、雑木林を所有する長野の友人宅を訪れたとき、クヌギの原木を鹿児島の枕崎(鰹節製造量日本一位)へ卸しているという話をきいたことがある。ともあれ「自家製めんつゆ」は大いに好評で、皆さんの持ち寄りトッピングによって豪華なソーメンを堪能したのでした。
もう一つの目玉はスイカ‼️ こちらも沢水で冷やしておき、午後の休憩時間に頂いた。
結局、クスノキの丸太イスはすべて薪に解体され、長椅子のベンチも撤去された。そしてクリの木の根周りにはいくつもの点穴が追加設置された。
積まれたクスノキの薪。物を置くときも常に風通しを考え、風の行き場を封鎖しないようにすき間をあけておく。
スイカをいただいて一休みした後は沢へ入る。皆、前回のグライ化した場所の処置の変化が気になっていたようだ。
前回、バイパスを作って泥が流れるようにしておいたのだが、まだまだ不足のようだった。流れをふさでいた石を動かし、さらに泥を分散する。
こうしてグライ化のドブ沼に太めの水流を流すことができた。大雨がくればかなり改善されることだろう。
今回Hさんが背負子を持参してきた。借りている家の納屋にあったもので、使い方が解らないというので、ロープをとりつけて薪の結び方や背負い方を皆で共有することにした。女性陣も荷積みと背負い上げを体験。コツをつかまないと運ぶどころか立ち上がることができない(笑)。しかし慣れれば薪運びにこんな便利なものはない。
背負子・・・これもまた里山を象徴する重要なアイテムである。昔の里人は皆これらの道具は自作したのである。今でもちょっと器用な人なら、スギやヒノキ材でどのフレームを、そして縄と古布で連雀(れんじゃく/肩ひも)を作ることができるだろう。
▼僕の「背負子」作例