今回の広島豪雨の土砂災害は、山すそや扇状地への密集した開発や、とてつもない集中豪雨、それに崩れやすい花崗岩風化のマサ土、などが重なって起きた・・・といわれているが、もちろん山には木が生えているわけで、この木々の根が踏ん張ってくれれば土砂崩壊はもっと小さいものになっていたかもしれない。
国土地理院の航空写真をざっと見てみたが、下のようあきらかに一面人工林の場所の崩れは希で、広葉樹の雑木林とモザイク状に混ざったところが多いし、広葉樹だけの崩れカ所も多く見受けられる。
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数日前、八木地区の崩壊現場を撮った人から写真を見せてもらった。許可を得たので何点か紹介する。手前に2本のヒノキが写っているが、治山ダムに掛かった木はカシ類のようだ。
周囲はひょろっとした若い広葉樹林で、
治山ダムに掛かったカシ類の根は張りのない浅いもので、まるで線香林のスギの根倒れのものを思わせる。
やや離れた尾根側も木が細いが、
次の沢では太い広葉樹が土砂を止めていた。この下の家々は被害を逃れたそうだ。
現地で写真を撮った方は「広葉樹が太ってしっかり根をはっていた場所は、守られていた」と感じたそうである。
ところで治山ダムというのは砂防堰堤とちがって林野庁の管轄である。今回、この治山ダムが役に立たず、むしろ被害を拡大させたのではないか? ということがニュースにもなった。
◯治山ダム一部崩壊 安佐八木南地区 コンクリ片が流出(中国新聞2014/8/26)
◯広島・治山ダム、土砂災害地区で機能喪失状態に(YOMIURI ONLINE)
森林管理局のHPに
「治山ダムは、荒廃した渓流に小型のダムを設置するもので、土石流などの過度な土砂流出を制御し、荒廃した森林や渓流の復旧を図る施設です。渓流と森林を復旧させることで、下流の道路や人家などの保全対象も守ります」
とある。
新聞によると八木4丁目の治山ダムは1972年建設というから、すでに42年が経過しており、それだけ昔から林野では対策を講じていたとうことだ。で、これだけ昔から林野庁が関わっているということはひょっとしてマツ枯れしたその跡に「治山のため」と称して広葉樹を「植林」した山なのでは? という疑惑がわいた。
マツ枯れ跡はそのまま放置すれば実生(自然発生の木)の広葉樹が生えて、しっかりと根が伸びた崩れにくい山になるはずなのだ。人の手で植林をすると、木の成長は早いが根の弱い木となり、山は崩れやすくなる。
拙著『「植えない」森づくり』P.18にもあるとおり、
かつて広島市は全面積の半分以上がアカマツ林に覆われていたが、1970年代からマツが枯れ始め、全国に先駆けて殺虫剤の空中散布を行なった。ところがそれはほとんど効果がなく、80年代には枯れ尽くす勢いだった。その後、放置されたマツ枯れ山は自然の手によって広葉樹林に回復
と、私は書いたのだが・・・。
ひょっとしたら市街地近くの山(今回の崩壊地)は植林が多かったのだろうか?(事実、写真ではスギ・ヒノキの山も少しモザイク状に入り込んでいる)。
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ところが、さらにネットで調査を進めているいるうちに古い航空写真を発見した。1962年、今から52年前の八木地区の山である。これを見ると、スギ・ヒノキを植林した場所がかなりあり(色の濃いパッチの部分)、禿げ山もある。赤で四角く囲ったところが現在の4丁目45~50番地の団地で、現在の山林の情況とずいぶんちがうのが解る
ここも今回の災害で崩れて死者が出ている。俯瞰航空写真では白丸の部分である。
およそ黄色い矢印のように土砂が流れたのだが、ここは人家に近い場所にスギ・ヒノキ人工林が集中して植えられている。
斜めからの鳥瞰写真。
さらに新しい発見は同じ場所の1988年の写真である。ここでは人家の上部の人工林の部分が禿げ山(草原状態)になっている。つまり、この時点でいちど伐採され、再びスギ・ヒノキが植えられた場所だったのである。
結論からいえば、この辺りの山林は、マツ山→マツ枯れで禿げ山に→自然再生で広葉樹林に・・・という単純なものではなく、1940~50年代当時からモザイク状にスギ・ヒノキを植林していたことがうかがえる。
瀬戸内地方は雨が少なく花崗岩質のためスギ・ヒノキ造林には向いていないのだが、広島近郊の山では木材が貴重だった当時こぞって植えたのだろう。
1962年当時に黒くパッチ状に見えている人工林はすでに20年生くらいだとしたら、その後1980年代後半に伐採収穫され、同じ場所にスギ・ヒノキが再造林されたのだ。
それらが放置され、荒廃して枯れたり折れたりした場所に自然に雑木が生えたがところもあるだろうし、マツが枯れて広葉樹化したところもあるだろう。
とにかく、都市に近いこともあり、人の手でいじりまわされたた山であることは確かなのだ。とくに谷沿いは大きな根系が発達するような、太い木が育つヒマがなかったのではないかと推察される。
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根系というのは空間があれば木が自らを支えるためにどんどん根を伸ばしていくものだ。
やはり間伐の手入れが大事なのである。
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末文ながら、被災地の一日も早い復興と、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。
▼後日、現場調査をしました。