大阪@自然農と食養の庵「墨歌」へ


昨年7月、「たむたむ八日の市」で紙芝居をしたとき、野草と食養の研究・実践家である酒井貴美子先生にお会いした。酒井先生は矢野さんを滋賀(徳昌寺)に最初に連れてきた方で、いわば現在の滋賀のネットワークづくりの功労者である。意外にも僕の本の読者であり、お話すると拙著をいたく褒めてくださり、「大地の再生」の本の出版を心待ちにしてると励まされた。

先生は大阪の茨木市で「墨歌(すみうた)/自然農と食養の庵」を営まれ、梅干しや味噌などを作られているほか料理教室や断食の指導なども行なっている。滋賀〜大阪の旅、最終日はその酒井先生を訪ねた。

噂には聞いていたが、家の中の倉庫には梅干しの甕がずらりと並び、発酵食品の馥郁とした香りに満ちていた。家周りを見て、周囲を案内してもらった。驚いたのは、この集落には湧水があるのだった。その水源は細々としていたが、酒井さんがここに居を定めた大きな理由の一つだという。

また水路と水車の残骸に目を惹かれた。この車作(くるまづくり)一帯は、安威川(あいがわ)を下に望む高地に田畑があるため米作が大変困難だった。この水路は「権内水路(深山水路)」といい、江戸時代に畑中権内(はたなかごんない)という人物が独力で開削したという。庄屋としての彼はこの農民の苦境を救いたいと用水路を造成したのである。

しかし、その安威川の下流にはいま巨大なダムが造成されようと工事が真っ最中なのだった。その凄まじいロックフィルの堤を、道の途中で見た。この道の奥にはいくつもの採石場がある。その石が膨大に使われているのだろう。安威川にはかのオオサンショウウオが生息しているというのだが、採石場から出る石粉の泥が川底を汚して彼らは確実に絶滅するといわれている。

大阪府という大都市が隣接するエリアに世界最大の両生類が生息している、それはある意味「地球上の奇跡」ではないかと思うのだが・・・それすらも守れないほどの必要性が、この開発にあるとは到底思えない。

ダム開発は酒井先生がこの地に越してきてから始まり、その後周囲の植物の疲弊の兆候が現れはじめているという。

畑に案内してもらった。アプローチにはダムに関わる道が隣接しており、眼下に付帯工事の広大な景色が見える。かつて秩父から山梨に越える雁坂峠で見た滝沢ダムの、あるいは群馬の八ッ場ダムの工事現場を目撃したのを思い出す。

いま田んぼは縮小して実験的に水路周辺にできている。マコモも見える。

風の草刈りをしながら水源へと進む。

この水路も古い時代のかなりの労作である。奥に進むと両岸が石積みで造られているのだ。まだ本沢はかなり下方にある。ずいぶん奥まで棚田があったらしいが、いまこの谷津田を耕作する人は酒井さんらのグループしかいない。

藪をかきわけて上の段へと上がる。シカとイノシシ避けの柵はここでも必須である。

酒井さんがサニリリ夫妻に任せているエリア。この辺りにやっちゃんは「縄文小屋」を作りたがっているのだが、僕はここにある2本のエノキが気に入った。景色も抜群である。

下りながら酒井先生の野草のレクチャーに耳を傾ける。古代から重要な野草であったヨメナ。シュンギクに似た味わいがある。

野生の小豆「ヤブツルアズキ」。味もけっこう美味しいらしい。

畑地は赤丸のあたり。この標高と立地にして上流には民家がない! 青線の囲いがダムの位置。縄文小屋ができればこの工事風景をずっと眺めることになる。それも令和の象徴的な光景として風流かもしれない・・・。

地理院地図を改変

酒井先生の庵に戻る(緑丸の位置)。すぐ近所にある皇大神宮と呼ばれるお宮。鳥居に近づくと強い波動が降りてくるのがわかる。イチョウも樹勢がすごく良い。ここの裏山の尾根が鎮守の森になっており、そこが湧水の水源林なのだ。

そしてその奥には北摂屈指の霊峰「竜王山」がある。畿内一帯が大干ばつだったとき、開成皇子(天皇家の血を引く奈良時代の僧)が池を掘って八大龍王を呼んだという伝説に由来する。

庵のすぐ下には小さな畑がある。そこで摘んだ野菜や野草が食卓に並ぶ。

座敷へ。抽象絵画のような前衛的な書は酒井先生のお父上の作品。

お待ちかねの酒井先生の食養ランチ。

3年味噌に採りたてのニラを浮かせて。里芋、干し椎茸、高野豆腐などが入った煮物。この煮物、驚きの美味しさだった。

梅酢を使ったちらし寿司。梅酢だけでこんな味が出せるのか・・・。

野草を中心とした小鉢。

シロザの実の佃煮。

小鉢ひとつひとつ、酒井先生の料理解説に耳を傾ける。

豆腐とレンコンの飛竜頭(ひりょうず)。なんとも奥深い宝石のような味わい。長岡京の完全無農薬の大豆から作れた(縄でくくって持ち運べるような)豆腐を塩水で炊いたあと、一晩塩重石をかけて水を抜いてからすり鉢ですりつぶし、そこにマコモダケとレンコンのすり下ろし、龍の目玉として銀杏2個をあしらい黒ごまを入れ油で揚げた(上にかけられたくず餡は生姜をきかせてある)という手の込んだもの。食べ終わるのが惜しいほどだった。

マコモダケのフライ、里芋の皮の素揚げ。まるで最高級の白身魚のフライのようだ! そして、里芋の皮がこんなに美味しいとは・・・。家でもやってみよう。

どれも滋味あふれる、とても植物質だけとは思えない、まるで高級中華を食べつくしているかのような(失礼な表現かもしれないが)、しかし食べ終わったときの爽やかさがちがう。凄い・・・。これはマクロビなどという言葉でくくれるレベルではない、格がちがうと思った。

酒井さんの野草とその料理の知識は、若杉ばあちゃんこと若杉友子さんの元で学ばれたものだという(その経緯は若杉さん本人が『長生きしたけりゃ肉は食べるな』幻冬社2013で書いている)。僕自身も現在ベジ食中であり、若い頃「桜沢如一」の本を読んで徹底したマクロビを3年ほど経験したことがある。が、改めて現代の野草料理とマクロビに強烈な関心が湧いた。

ここで使われている淡路島の塩と先生の作った梅干しを購入した。お土産にと3年味噌をわけていただいた。

そして・・・、お願いしてテーブルの残りの食材で帰りの弁当を作らせてもらった。なにしろ厳格なベジ食だと外食やコンビニ食ができない(食べられるものがない!)。助かった❣️

やっちゃんのトラックで滋賀に戻り、もう一泊のんびり休みたいという誘惑を振り切って、スバルに移動してエンジンをかける。草津辺りのサービスエリアで極上の弁当を慈しむように食べ終えたら、強烈な睡魔が襲ってくる。

途中、SAのハシゴ睡眠を繰り返しながら、なんとか高松に帰還。思いもかけない扉をいくつも開けたような、休みなく充実が続いた、6日間の旅が終わる。


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