父の実家、広重美術館


水戸の実家に泊まり、久しぶりに母の手料理を食べる。赤飯を炊くのが大好きな人なので朝からこんな感じw。相変わらず醤油と砂糖味の濃い煮付け。これがまた赤飯によく合うのであり、けっこう食べれてしまうのが恐いw。

昨日は母を連れて父の墓参りをした。墓石は東日本大震災のとき倒れ、角が何カ所か破損している。

水戸を出発して日立にある父の実家へ向かった。実家は農家だが叔父が継いでおり、その叔父も80を過ぎた。アポなしで行ったのだが、叔父は田んぼ支度のまま縁側で菓子パンの昼食をとっていた。田植え後の捕植のためにこれからひと仕事するのだという。

叔父は数年前に病気をし、酸素を鼻から吸入している。叔母は認知症が始まり、唯一の男子である長男は農家を継ぐ意思はないという。叔父は庭が好きで、大量の植木を世話し、自らその手入れまでしている。先行きに途方に暮れた様子で私に「近ければ家も土地もすべて任せるのだが・・・」とつぶやく。この土地は昔の家長制からいえば本来私が継ぐべきものであった。

叔母さんの認知症はそれほど酷くもなく、私を判別してなんとか会話もできた。yuiさんと何度か田んぼの手伝いに来たことがあった。そのときの水路は今とても役立っているそうだ。それだけが、救われたような気がした。

仏壇に手を合わせてから近くにある墓に向かった。久慈川にそばにあった先祖代々の墓は、洪水の危険を避けるため近年この地に移設し、叔父が新たに墓石を建てた。ここに私が子供の頃から世話になった祖母が眠っている。

移設した古い墓石には「天明」や「文久」など江戸年間の文字が刻まれている。水をかけて合掌し、ただただ頭を下げるしかなかった。

常陸太田〜大宮〜鷲子山上神社の近くを通って栃木県に入る。なだらかな山にスギが多い。昔から林業の盛んな所で、現在も珍しく新植が続けられている。

栃木県那須郡那珂川町にある隈研吾設計「那珂川町馬渡広重美術館」。広い駐車場の先にすすけたような長細い建物が見える。

近づくと黒っぽく塗られた木の角材の集合体であり、それが同じパターンの格子でずっと続いているのだ。

だが、構造体は木ではなく、コンクリートや鉄骨が使われている。

雨ざらしの部分はかなり腐食しているパーツも見えた。

エントランス。

トンネルのように奥に抜けており、庭園と山に続いている。

ここに突如、鉄骨とガラスの壁が現れる。

格子から漏れる光がきれいだ。

90度曲がって館内へと導かれる。

内部の壁は和紙でできている。それに格子を抜けた光が縞をつくっている。

休憩用のイスも格子のデザイン。

ガラステーブルに、こちらは木網セメント板を座板にしたオリジナル椅子。

庭側はただ玉石を敷いた空間、それに竹の植え込みを組み合わせてある。

軒の出は3mあり、壁の存在を忘れさせるような軽やかさを生んでいる。

影が壁の格子に面白い模様を描く。

屋根はやはり所々破損しているようだ。

エントランスの反対側の壁。

鋼板だがそのリブも細く見えるように先端を尖らせている。

広重美術館は栃木県生まれの実業家、青木藤作氏のコレクションが寄贈され、誕生したものである。竣工は2000年。設計に当たって、隈研吾は奥に見える里山の景観を大事にした。また地元素材、とくに八溝杉を使うことに心を砕いた。コンセプトは広重の絵画手法であるレイヤーの空間構成を建築に置き換えること。そのために格子(ルーバー)や同じく地元素材の和紙が効果的に使われている。

とにかく渋くて美しい空間であった。もちろん広重の作品もすばらしく、展示方法も良い。よく地方の美術館では内容の良さに比して展示がずっこけているのを見るのだが、ここはすべてが洗練されており、世界に誇れる美術館といえよう。

設計施工関係者もすばらしいけれど、これを実現・維持している那珂川町にも拍手を贈りたいと思う。

使いたい素材から始まる


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