隈研吾『自然な建築』読了。普通、建築設計は部屋をどう並べるかという平面計画があり、次に外形が決まり、最後に仕上げ素材の材料選びが行なわれる。が、隈建築は逆のプロセスをとる。いきなり最初から、使いたい素材を選んでディテールまで考える。
こんなディテールで作られるからこそ、この配置、この平面、この断面にすべきだという順序で、デザインを進めていく。それが物質としての建築を決定する際の、誠実な手順、物質に対して誠実なプロセスだと信じている。(隈研吾『自然な建築』)
うん、これはよくわかる。しかし、現代住宅の設計でこんなメンドウで悠長なことは、よほど施主のこだわりがないかぎり行なわれない。先に部屋割りや形を決められ、次に各カタログの山から素材を決めさせられていく(こうして凡庸な、魅力のない新建材住宅が量産される)。
が、私の場合はそれをやった(笑)。まず壁は漆喰、2階床は30mmスギ厚板による現し天井。これは新築の住宅に義務づけられる24時間換気のダクトや、2階からの配管を納める空間がなくなることを意味する。そこで換気は普通の換気扇を併用する「第三種換気」に、配管は一階の浴室・トイレ側に集中させ、束ねて柱に沿って箱に隠すことで解決する。
そして外観のガルバリウム鋼板に呼応させるために、バルコニーは溶融亜鉛メッキ鋼鈑。
手すりは囲炉裏暖炉に呼応させるためにアイアンの黒で。さらにパイプ径と細かいディテールまで突き詰めて考えた。
床の間もそうだった。工務店は床板はケヤキの突き板を薦めた。が、そんな偽物は絶対に嫌だった。ケヤキの突き板は、ケヤキ丸太を大根の桂剥きの要領で薄くはぎ、それを合板に貼っていくのである。だから、通常のケヤキ一枚板とはまったく異なる不自然な木目が現れる。
かといって無垢一枚板は高くてとても手が出ない。そこで、トチノキのテーブル用一枚板と、スギの無垢板を組み合わせて2段床とした。これで奥行がありすぎる床の間の問題も解決できた。
コストはケヤキの突き板に比べわずか数万円の超過で済み、副産物として端切れを使ったDIYテーブルが2つ生まれた。
だが、このような方法はハウスメーカーでは「施主のわがまま」とみなされて絶対にやってもらえないだろう。メーカー側の手持ちの範囲の既製品にまるめ込まれるのがオチである。
また有名設計事務所でこんな提案をすれば、先生がそっぽを向いて「そんなにセンスに自信があるなら自分でやれば?」と投げ返されること必定である。
つまり、こんなことができるのは、地方の誠実な工務店ならではなのである。きちんとした職人をかかえている工務店なら、必ず施主の意見を尊重してくれ、アドバイスを交えながら調整してくれるはずだ。
話がそれた。先の隈研吾の引用ページは栃木県馬頭の「広重美術館」の設計の話であった。隈研吾は近隣の八溝山地に産するスギ材をこの美術館建設において多用したかったのである。
が、スギを使うためには不燃材にする必要があり、学会では黙殺されているという新たな薬注方法を、カツカツのスケジュールの中で公開試験せねねばならなかった。
具体的には遠赤外線でスギを焼き、導管の中で水蒸気爆発させることで、注入の障害となる弁が吹き飛んでしまい、液体に浸すだけで奥の奥まで液体の注入が可能になるというものだ。
この方法を考案したのは宇都宮大学の安藤さんという研究生で、栃木県庁を定年退職した後に宇都宮大学に籍を置き、独学で不燃化の研究をしているという異色の人だった。
安藤さんは長く林野行政に携わり、スギ・ヒノキ林を増やすことを仕事にしてきた。が、その木材が使われずに荒れ果てていく山をなんとかしたいと、残りの人生をスギの不燃化の研究にかけたのだ。
この方法を広重美術館に用いても、建築基準法をパスできる保証はまったくなかったが、とにかく実現に向けて動き出そうと、その日から走り出した。走るだけの大きな価値が、この方法にはあると思ったし、日本の山がかかえている問題は、それほどに深いと直感したからである。(隈研吾『自然な建築』)
公共・民間に関わらず、建築工事というものはすべてが順調に行って初めて間に合うように設定されているというタイトなスケジュールの中で、実験は行なわれ、そのスギは確かに燃えなかったのである。
こうして屋根材にまでスギが用いられたスギだらけの公共建築「広重美術館」は2000年に竣工した。私がパソコンを初めて手に入れて、鋸谷式間伐をホームページにアップしていた頃、こんなストーリーが栃木県の山あいの町で進行していたのだった。
私はまだ「広重美術館」を見ていない。17年後、ディテールはくたびれていないだろうか? 町にとけ込み、地域の人たちに愛されているのだろうか? 私は昔から浮世絵も広重も大好きだ。八溝山は高校生の頃、渓流釣りによく通った場所でもある。
そのスギの行き先を見たいと思った。