田んぼの手伝い(1日目)


水戸を7時に出て叔父の元へ向かう。子供の頃、父の運転する車に乗ってよく通った道は幅が広がり郊外店に彩られている。あの頃から比べて農地はどれほど減ったことだろうか? それでも時折、古い民家や納屋が見え、まるで砂漠に清水を見つけたかのように、ホッとするのである。

コーヒーをいただいてしばし叔父と談笑したのち、着替えてさっそく農地へ。田んぼはまだ水が入っていない。現在の田んぼの多くは乾田の期間が長い。水を長く入れていては畦が弱くなったり水漏れしたり心配がある。また、耕耘機など機械を入れるには乾田のほうがタイヤを泥に取られることなくスムーズにいく。

日本の稲作は「湿田から乾田へ」という歴史がある。もともと稲は低湿地に合う植物だった。古代はそんな湿地をうまく利用して稲作をやっていた。日本は山が多く農地に向いた平野は少ない。雨が多く川が頻繁に洪水をおこし、そのような氾濫原が農地にならざるを得なかった。そこは山からの養分が流れ堆積するので沃野ではあったが、いつも泥沼での稲作はあらゆる仕事が大変な労働になる。乾いた敷地に水を導いた田んぼの形態は便利であるし、それで収量も上がったのである。

叔父の田んぼは水の条件が悪い場所であった。長い長い水路の末端に位置している。しかもコンクリートU字溝の水路は途中で途切れ、後は他人の田んぼの畦の間を通ってくる水を自分で引かなければならない。流入口を管理するには、田んぼの奥まで細い畦を歩いて行かねばならないのだ。

そこで、車道の近くで水をコントロールできるように、自分で水路を伸ばしたいというのが今回の作業である。まずは黒ビニールで囲まれた畦を壊しビニールを回収する。酸素ボンベをつけながら作業を心配そうに見守る叔父。

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スコップで土を返してビニールをはがす。家からここまで、水管理に出るのはけっこう大変かも。

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ここは茨城No.2の大河、久慈川がすぐ近いのだが、水路の水源はなんと里川だった。地図で調べてみるとその堰はかなり遠い。しかし、農業用水というものは、こんなものなのかもしれない。久慈川ではポンプで上げなければ水が取れないのだろう。4月20日に初水が来るという。それまでは枯れている水路。ここを曲がって叔父の田んぼへ。

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その先はコンクリート水路が途中で途切れ、水は他人の田んぼの畦の間を通ってくる。畦を壊した場所にプラスチック素材の浪矢板を2枚立てて水路を作るというわけである。

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他人様の田んぼと地続きであるからして、境界に杭を打ち、糸を張って(これを土木用語で「丁張り」ちょうはり/という)その内側ぎりぎりに水路の端とする。

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スコッップで穴を掘り、矢板を立てながら埋めていく。接合部は鋼矢板と同じような凹凸で水が漏れないようになっているのだが、クレ556をかけないとはさまりが動いてくれない。トンカチで叩きながら繋いでいく。

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近所の人たちが見て行く。だいぶ仕上がってきた片側だが、丁張りが動いてしまったりして時間を食う。水準器で水平を見ながら、境界から出ないように一直線に、矢板は直角に立つように、といろいろな要素が、その単純に見える土木作業に潜んでいる。丁張りの「通り」と「高さ」をきちんと決め、その理解のもとにやればもっと早かったかも。

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夕刻4時。ようやく片側ができた。

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「ウチさ泊まっていけ!」と何度も連呼する叔父を振り切っていったん水戸へ。実家で風呂を浴びた後、友人のTを誘って中学時代からの友人Oの店へ。Oは昔の釣り仲間で長く喫茶店勤めしていたのだが、最近権利を買い取って自立したのだ。今日は1時間早く閉店とのことで、Oの紹介で別の店へ行く。と、移動中になんと昔の虫採り仲間のWにばったり会ってしまう。帰りはKの音楽スタジオに立ち寄ってYKを紹介し、近況を報告し合う。

水戸は桜が満開だった。


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