朝、永平寺へ行った。道元がひらいた「禅」の道場であり曹洞宗の総本山だ。のっけから鉄筋コンクリートの大型ホテルのような入り口、そして階段を上がらされ驚く。このお寺は伽藍がすべて木の廊下で結ばれており(後から継ぎ足したもの)、ずっと素足で回れるようになっているのだった。建物はケヤキとヒノキをふんだんに使ったすばらしいものだ。しかし、すれちがう僧侶の目に覇気がない。禅という最も簡素な宗派が鉄筋コンクリートで豪華なお堂を継ぎ足していいのか? などと疑問もわくのでした。
そもそも「仏教・仏門」とは何か。そう問われて鋼鉄の意思を披瀝できる僧が、この中に何人いるのかな? もし居たとして、ここに来る観光客や門前町の商売っ気は、その本質にあまりにも乖離している。道元はいま空からこの地をどう見ているのだろうか。
お次は「越前竹人形の館」。館長、師田黎明氏の竹人形作品は、竹の形態・性質を極限まで引き出したもので、内外から絶賛されている。竹という形の制約をうまく活かし、形を抽象化したモダンな人形をうまくまとめているがそのテクニックたるや大変なものである。後続の若い作家も頑張っているようだった。しかし館長さんは職人技だけでなく、アートとしての造形力も確か。竹以外の素材でも成功されただろうなぁ。
東尋坊を見てから石川県に入る。僕は子どものときから「透明な水のある景色」が大好きで、それで渓流釣りに惹かれたこともあるが、高校生のときは昼休みの図書館の図版で日本の水ある景色を眺めていたものだった。そこで目を釘付けにされたのは九州の「高千穂峡」そしてこの「東尋坊」だった。前者は2度訪れたが、東尋坊は初めてだった。売店で「子どもの頃から禁断の食べ物(笑)」焼きイカと焼きトウモロコシを食べた。遠くに蒼い水平線が見える、どこか懐かしい海の売店。ここでもデイジャビュ(既視感)がこみあげてくる。
石川県に入り、山代温泉の「魯山人寓居跡」へ行った。この周辺はイラストマップの取材で訪れたことがある。が、とにかく加賀地方は見所が多く、史跡名勝、美術博物館だけでも相当な数があり、ここは取材でも見きれなかった場所で、前々から気になっていたのだ。
魯山人といえば食通料理人、陶芸家で名高いが、その出発は書家であり篆刻家であった。この山代温泉は、若き魯山人(当時は福田大観と名乗る)がいよいよその才を認められ、看板を彫る仕事を与えられて食客として滞在した場所。そしてこの地で陶作に目覚め、北陸の食材を前に料理にも開眼する。ここは魯山人芸術の出発点なのだ。
泊まり込んで創作していた草庵が2002年から一般公開され、魯山人の篆刻看板がある旅館を回って鑑賞できる券(各所でスタンプが押せる)も発行されている。当然、僕らはその6カ所すべてを見て回わり、魯山人の大胆・豪放かつ繊細なその作品に圧倒された。「この男ただものではない」・・・当時の山代温泉の旦那集がつぶやいた光景が目に浮かぶようだった。
ところで、加賀の温泉はレベルが高い。魯山人の看板のある宿は、平日で一人2万8千円~という。「今夜のお泊まりは山代ですか?」と旅館で問われて、もごもごとうつむく僕らは、富山まで車を飛ばし、砺波のビジネスホテル(2名で9千5百円)に泊まったのだった。