天気がいい。このまま帰るには惜しい。そんな気持ちを残しながら旅も最終日。すでに今日で二週間が経っている。そろそろ畑が心配だし、仕事の締め切りも迫ってきた。能登半島に向かい、輪島塗りの本物をじっくり見てから帰ろう、と思った。
その前にまず、砺波平野の湧水を飲みたいし、「散居村」風景を見たい。これを相方に見せるために砺波に宿をとったのだ。砺波平野には庄川の扇状地が広がる。ここは白山連邦の湧水が豊富で、各戸ばらばらに田の水利ができるので、家が散らばっているのである。しかし風が強い所なので屋敷林で防風する。その屋敷林と民家が散在する景観は見事なものである。日本の名水にも指定されている「瓜割清水」へ行く。かなりの湧出量だ。展望台まで登って、朝方の澄んだ空気の中で写真を撮った。
輪島に急ぐため直線距離の近い方をカーナビにセットしたつもりだったが、なぜか高岡方面に導かれてしまった。そこでせっかくだから「高岡市立美術館」に行った。ここ高岡もイラストマップの仕事で調べたことがあるが、古くから伝統工芸が発達した底力のある町だ。美術館は外観だけを見るつもりだったが、中で「工芸都市高岡伝統と革新」展というのを無料でやっていて面白そうなのでつい観てしまった。
芸術系大学の先生と地元の職人さんとのコラボレーションによるユニークな作品が展示されている。その展示方法がお洒落だった。しかし先生方がみな芸大寄りなのにゲンナリする。この企画展示にしても国からの助成金が使われている。そして「何か」が足りないのだ。工芸の背後に豊かな自然・資源がなければ、断崖でのお遊びだわな。現代美術に共通する虚しさを感じてしまう。
氷見で昼食。「やっぱり最後は魚だよねー」「そうだなー鳴門で食べれなかったしなぁ」。楽しみにしていた徳島鳴門の海産定食屋『びんび屋』がスケジュールの都合で行けなかったのである。カーナビで「和食」を探して漁港の近くで漁師の店とい触れ込みの店をみつけ、刺身定食とホタルイカの貝焼きというのを食べる。
お替わり自由のご飯や、バイガイ、つみれとカワハギのみそ汁も美味しく大満足。しかしずいぶん時間が過ぎてしまい、「こうなりゃもう一泊か?」「んんん、そうかも」と、店にあった能登の宿のパンフレットをチェックしてみると、6~7千円代の民宿がけっこうある。さっそく予約の電話。旅の疲れを見せない二人はとどまるところを知らないのだった。
能登半島に入る。海も美しいが、沿岸の民家が美しい。けばけばしい店の看板や自動販売機なども少なくて、旧い懐かしい景色を観ているようで心が和んでくる。「能登一周の旅」が人気があるのがわかるような気がした。人工林はスギがほとんど。輪島周辺はとくに多いが手入れされた場所もみられ倒壊箇所は見当たらなかった。
それよりも気になるのは海岸沿いの広葉樹の枯死である。マツ枯れが収束し、広葉樹に枯れが来ている。瀬戸内でも、土佐でも、そしてここ能登でも同じ現象が観察できる。そういえば、昨日の「瓜割清水」で出会ったおじさんも「マツだけじゃあなくてドングリの木も枯れてきた。病気かもしれない」ということだった。
夜の食事には地元のアオリイカが出た。しかし全体にみると地物は少ない。まあこんなものなのかもしれない。日本の海もかなり危ういことになっているのだから、宿ですべて地物を期待するのが無理というものなのだ。それでも潮騒と重厚な古民家に包まれた一夜は、旅の終わりにふさわしく価値あるものだった。