保己一生家にて


愛車コペンの6ヶ月点検の日。と、出発準備していると早朝から電話あり。先月個展をご一緒したY先生の奥様からだった。いま奥様は「ららん藤岡・花の交流館」にて4回目の写真展を開催中なのだが、その紹介記事が写真入りで『上毛新聞』に載ったとのことだった。

ご夫妻は神流川流域、藤岡市だけでなく県内に広い人脈を持っておられる。今回の展覧会は正月の4日まで行なわれるということで、この新聞掲載を機会に様々な方々が訪れるだろう。ということで、藤岡から(先生ご夫妻は藤岡にマンンションも借りている)H集落の自宅までいろいろ物を取りにくる途中という。

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しばらくして、車で到着したY先生が新聞とお菓子などを持ってアトリエまで上がってきた。しかし、84歳の先生はしょっちゅうこの坂を歩いて、毎日のようにアトリエを訪ねてくるのだが、すごいと思うのは必ず何かお土産を持参され「手ぶら」で来たことが一度もないのだった。

先生が帰って僕らも伊勢崎のダイハツへ向かった。実は個展の搬入のときコペンのトランクに無理に荷物を押し込んでしまい、トランクのカバーが浮いてしまっていた。これが有料修理だとかなりの高額になりそうでアタマが痛かった。が、それは簡単な修理で直った。洗車もされて、ぴかぴかのコペンに乗り込んで帰還。

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本庄で正月用の食材などを買い、帰りに児玉町で塙保己一の記念館や生家を見る。児玉町の国道を通るとき「塙保己一生誕の地」という大きな看板を見かけてずっと気になっていたのである。

保己一は江戸時代の国学者で、盲目でありながら偉大な仕事を成し遂げた人だったらしい。水戸光圀公が手始めた『大日本史』編纂に関してその校正などもまかされたそうである。点字などがなかったその昔、盲目ながらこれだけの信頼を得たということは、よほど優れた記憶力や読解力、直感のはたらく、誠実な人だったのだろう。

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夜、NHK特集で秋葉原電気街と秋葉原オタクのドキュメントを見る。たしかにぬるま湯で享楽の時代だ。しかし、保己一の生きた江戸の昔より、いま僕らはずっとずっと危機的状況の中に生きているのだが。


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